紅白歌合戦でYOASOBIと言うグループの「アイドル」と言うのを聞いて「これ何?」と思った。前年にも出ていたことを思い出したがその時はそれほど感じなかったのだが・・・

次々に変化してまるで音の万華鏡みたいだ。ラップなどと言うのは死ぬほど嫌いだったのだがここではなんとなく気持ちいい。一体どういうことなのか、you tubeの解説動画を見てみた。

 

アニメ「押しの子」のエンディングに流れているものでアイドルの華やかな所と暗黒の部分を描いていてそれがこの曲に見事に表れているらしい。次々と繰り返し行われる転調やあり得ないコード進行更にはテンポまで一気に変えるなど聞き手の予想をはるかに超えていくので、一度聞いただけでは納得できず何回でも聞きなおすことになる。

 

この時点で京都橘になんか似てる、と思った。「アイドル」は音楽でやっているが京都橘は視覚的なものだ。パレードを見ているときにいつも思うのだけれど「繰り返し」というのをやらない、別のステップに変わりあちこちで異なる動きをやっているうちに次の曲に変わるといことで「覚える」ことが出来ないのでまた見てしまう。

 

視覚的な意味では「中性的」というのも共通点かもしれない。IKURAさんの服装は所謂女性というものからはかけ離れているし声もそれを意識させない。最近少し女性化しているかな?と思う時があるが所謂オールド橘は完全に中性だった。宝塚のTOPが男役であるようにある種「男らしさへの憧れ」みたいなものが底流にあったような気がする。

 

何よりの共通性はその「異端さ」にある。歌と言えば「うーさーぎーおーいし・・・・」が原点と思っているのだが「アイドル」は異次元で同じ歌とは思えないし、異次元と言えばやはり京都橘。どちらも誰もやっていないことをやっている、ガラパゴス文化とでも名付けようか日本でしか発生しないもの。オタク文化と言ってもよいかも、多数のオタクが文化が集まれば多様性と言う名の最強の文化が出来上がる。

 

そもそもアニメの題名が「押しの子」なのだけれど、前回に取り上げたAMENBAR申請で聞かれた最初の質問が

「押しの子は?」だった!!!!!

 

文明の歴史と言う観点からは800年毎に西洋と東洋の文明の興隆が生じているそうだ。奇しくも2000年というのが転換点に当たるのでこれからは東洋の時代になるかもしれない。事実植民地からの搾取で成り立っていたヨーロッパは見る影もなくその後を引き継いだアメリカにも一時の憧れは全く消えてしまった。戦後押し寄せたアメリカ文化は全て素晴らしく見えた。音楽も当時「チューチューチュー、タコカイナ」などと訳の分からない英語もどきが新鮮だった。今のアメリカにそのような新しさは無い、残っているのは「金融資本主義」の醜い姿だけだ、世界は新しい文化を求めている。自分の価値観を押し付けない、オタク文化。

時代はアジアだ、しかし日本とか中国とかいう国を単位とするものではないだろう。台湾で京都橘が人気になり、インドネシアでAIDOLが熱狂されるように東アジアと言う地域が中心になる(中共という厄介者が消えてくれれば)

 

それらの萌芽として京都橘やYOASOBIさらにはKポップスがあると妄想したくなる。

いずれにせよある人によれば京都橘はマーチングの歴史200年で出てきた異端なのだそうだから評価が固まるのは100年後。

 

その頃京都橘高校吹奏楽部さらには日本はどうなっているのだろう❓