今日は朝から近くの特別養護老人ホームに絵の指導のボランティアに行く。
このボランティア、初めて丁度3年になるが、本日の参加者8名の内、当初から参加していたのは3名、最高齢は91歳、そのうち1名は見学ということである。

今日新たに1名新規参加があったが、年齢が年齢だけに参加できなくなった人の理由を考えると心が重くなる。


このボランティアを始める頃は純粋に芸術という視点から取り組んだが、その考えは即日放棄した。

歳をとるということは直線1本引く事が難しいのである。
その中で芸術性を云々してみても始まらない。


はじめは子供の絵描き歌から始め、ようやく線が引けるようになって、いわゆる高尚な言葉で言えばオブジェというもので形と色彩に慣れてもらう。


ようやく写生らしき形で、絵になりだしたのが1年ほど経ってからである。
今日は一輪挿しに生けたさつきを画いたが、花を画かせたら右に出るものがいないのが春子婆さん。


ただ、この婆さん、自分の表現にはかなり強いこだわりがあり、以前、良かろうと思って、人の顔の絵でちょっと手を入れたところ「なんでこんな顔になってしまったんやろ」と最後まで言いつづけて往生した事がある。


人のそれぞれの表現なんてものは、それぞれに理由があるのであって、あまり差し出がましい事は言うもんではないという事をしみじみと思い知らされた。


それから琴ばあさんは、典型的な健忘症、毎回「わたしゃ絵なんか画いた事がない」と言うのが口癖で、それでいて誠に大胆な絵を画いて驚かされる。

「わたしゃ孫に笑われる」というのも口癖で、現れることも無い幼い頃の孫の姿がいつも頭の中にあるのかもしれない。


その琴婆さんが、とうとう「わたしゃ見学だけさせてもらう」と言って、今日は見ているだけで画こうとしなかった。

最近になって琴婆さんの衰えが気になっていたが、それだけまた神々の領域に近づいたのかもしれない。