晴れ、ときどき自遊人 -2ページ目

晴れ、ときどき自遊人

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出会いは一度きりでも、心にはずっと在る。

間に合った。これに尽きるかな、ここは。

夕日

夕日2


夕食は、宿近くの寿司屋へ。握りは少々残念だった(港町なのにネタの鮮度がいまいち。客の少ない時期だったからかもしれない)が、初めて食した「はたはたの湯あげ」は、ふっくら印象深い一品だった。庄内地方の郷土料理らしい。お酒は鶴岡の地酒「大山」。


はたはた酒亀や


宿は「亀や」。一人客OK(湯野浜温泉で唯一)だったので選んだのだが、天皇皇后も宿泊した由緒ある宿で、冒頭写真の通り海を一望する部屋からの眺めは格別だった。

ちなみに、この地に限らず、温泉宿には「お一人様お断り」がかなり多い。先述の寿司屋大将曰く、「昔は『土曜ワイド劇場』みたいなことがよくあったからねえ。特に女性」とのこと。消えるのだという、一切の荷物を部屋に残したまま。そして後日……。

そんな話を聞いたせいか、その夜、とても怖かった。闇夜の日本海から一晩中、呻き声のような波音が聞こえるのである。油断したら飲み込むぞと、海が、薄ら笑いを浮かべながら魔性の素顔を覗かせていた。(実際、なかなか寝付けなかった上、ひどい悪夢を見た)

しかし夜が開けると、海はいつもの穏やかな優しい顔を見せた。晴天の翌朝、浜辺を散歩すると遠方には雄大な鳥海山が見えた。青い海に雪化粧の山。素晴らしかった。

鳥海山サーフィン


夏は海水浴客やサーファー(日本でサーフィン発祥の地らしい)で賑わうという、ここ湯野浜温泉。「亀や」には風呂が、大浴場、露天、檜の3つあり、どれも広々として気持ちよかった。(特に、木の香り高い檜風呂が気に入った。泉質:ナトリウムカルシウム塩化物泉)個人的には少し恐怖体験もしたが、海に夕日に温泉にと、訪れた人の満足度は高いと思う。

次なる目的地は秋田。

時間がない。いや電車がない。(当たり前だが、東京のように5分に1本は来ないのである)今宵の宿は日本海側、鶴岡市の湯野浜温泉。海に沈む夕日を見逃すわけにはいかない。仕方なく、山寺駅からタクシーで天童駅へ行くことに。味わい深い方言で地元の魅力を語る運転手さん曰く、旬はもうちょい後(6~7月)というサクランボの木々を眺めながら天童駅に到着。将棋の街らしい。

王将将棋天童駅


天童、天童……よしみ以外に何か記憶にあるなあと思っていたら、天童木工の本社がある地だった。時間があれば観光したかったが、すぐ来た電車で新庄へ向かい、陸羽西線「奥の細道最上川ライン」に乗車。いざ日本海側へ。このローカル線がまた、いい電車だった。


芭蕉最上川

雄大な最上川の眺望はもちろん、庄内平野に広がる美しい水田の風景も心に残った。車内には普段使い学生や地元の方々。自然と聞こえてくる方言が、楽しかった。


福島県に後ろ髪を引かれつつも、北へ向かう電車に乗車。どこに行こうか思案を巡らせた結果、文学繋がりで「山寺」こと山形県の立石寺を選択した。

閑さや 岩にしみいる 蝉の声

俳人・松尾芭蕉が東北を巡った「奥の細道」の旅路で訪れ、この有名な一句を詠んだ場所である。風情ある駅舎に期待が高まる。


山寺駅

こんにゃくこんにゃく


結論……来る日を間違えた。

「50年に一度の御開帳」というイベント期間だったらしく、寺入口には長蛇の列。幸い、御開帳見学(薬師寺如来坐像)を希望しない場合は並ばずに入れると知り、ほっとしたのもつかの間、不運にも中学生の遠足とバッティングしてしまったのだった。

そこは、芭蕉もびっくり“閑さ”とは対極の場と化していた。

1000段超の細く険しい階段道を、青ジャージの学生軍団が占拠し、駆け上がったり友人の名を大声で呼んだりと、無情にも雰囲気を壊しまくる。若いからしょうがない、しょうがない、と自分に言い聞かせてはみるものの、疲労もあり、いらいら、いらいら。挨拶をするよう指導されていたようだったが、教師は残念ながら教えるべき事を間違えようだ。(皆、返事も苦痛なほど疲れており、ただただ静かに登ってほしいだけなのであった)

もはや、大きなリュックを背にゼイゼイ登る私は、仙人の指示で亀の甲羅を背負って修行に励む某漫画の主人公と重ねるぐらいしか、自分を慰める方法を見つけられなかった。

階段

ぼかしあり


愚痴になってしまったが、やはり景色は素晴らしかった。特に、岩。でこぼこと大きな穴があいた奇岩怪石。これぞ自然の驚異。ああ、だから芭蕉も「岩にしみいる」と詠んだのか、と納得。(大好きな歌人、斉藤茂吉もこの景色を前に一句詠んだようだ)


景色もきち

岩岩2


やれやれ、耐え忍んで登ったかいがあったと、だいぶ気分が回復してきたところで、とどめのがっかりに遭遇。

落書き


なんとも。

景観や雰囲気などその本来の魅力よりも、残念な印象が強く残ってしまった山寺。観光名所は管理運営が非常に重要であることに気付かされた。落書きはすぐには消えないだろうが、人が少ないと予想される朝一番に訪れることをおすすめする。



初日の福島だけで、だいぶ時間と文量を費やしてしまったので残りは「巻き」で。一言、加えるとすれば、人がとても良かった。炎天下、道に迷いくるくる地図を回していると、目的地まで道案内をしてくれ、坂道でへばっていると飲料を分け与えてくれた。福島県。その雄大な自然とともに、人々の優しい笑顔が強く印象に残った。


【安達太良山のふもとにある岳温泉】
朝の岳温泉岳温泉


質素でこじんまりとした温泉街だが、自然の声を聞きながら静かに過ごすには抜群の地。個人的にはとても気に入った。泉質は天然の酸性泉ということ。温泉には詳しくないが、無色無臭で、鳥の声と眺望を楽しむ露天風呂は最高に気持ちが良かった。


【宿:鏡が池 碧山亭 】

池と安達太良山

宿の朝食

飲んだ日本酒宿の朝食

宿は何を置いても部屋からの眺望が素晴らしかった。(池側客室)眼下に鏡が池、その奥には安達太良山。写真は上手く撮れなかったが、月夜の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあった。

夜は近くの飲食店に繰り出そうと夕食なしプランにしたが、あいにく数件の居酒屋どこも開いていなかった。(理由は不明)仕方なく、旅館内の店で飲むことに。つまみは焼鳥や餃子など冷凍食材のようで残念だったが、酒はちゃんとあった。二本松の酒蔵「千功成」の酒を数種いただく。こちら、ほとんどが地元で消費され東京ではなかなか巡り会えないらしい。この地と同様に、実直で澄んだ綺麗な味わがした。

若いスタッフと語らいながら5合ほどいただいた。23才の彼は、生まれ育った故郷の地でギターの教室を開く予定だったという。その夢に向かい静岡で専門学校に通っている時、震災が起こった。そして、大好きな故郷に戻れなくなった。その元凶となった原発について、彼は静かに、冷静に思いを語った。過去の過ちを糾弾し嘆くのではなく、未来へ歩みを進めようと。地元を愛する若き力に希望を感じた夜だった。

個人的に、宿の真骨頂は朝食だと考えている。こちら碧山亭の朝食、バイキングながら大満足。優しい人柄というか、「宿柄」が表れていた。

名残惜しいが福島に別れを告げ、2日目は山形を目指す。

リュック




二本松を訪れようと決めたのは、大好きな高村光太郎の詩「あどけない話」に登場する風景をこの目で見たい、その思いからだった。詩集『智恵子抄』に綴られる一篇。日本文学史において、男女の愛を描いた作品の中で非常に人気の高いこの詩集、私自身、学生時代に初めて読んだ時は、他者への愛という感情がこれほどまで深く、大きくなりえることに驚き、そして憧憬の念を抱いた。(30年以上生きてきたが、未だにその深さには到達できていない)

それもあり、これまで私の中で「智恵子」は「『智恵子抄』の智恵子」であり「高村光太郎の愛した妻」だった。しかし今回、ここ二本松で智恵子の生家と記念館の訪問した結果、その名作の中の人物が、作品という小さな世界から飛び抜けてきた。人間、高村智恵子、本人に強く惹かれた。


純愛通り

智恵子生家


高村智恵子。
自らの生涯において、強く、激しく、命の炎を燃やしながら生(彼女の場合は恋愛と芸術だろうか)に挑んだ女性、いや一個の人間。その魂の声に心を揺さぶられた。

“「女である故に」ということは、私の魂には係りがありません”

“恋愛は咲き満ちた花の、殆ど動乱に近いさかんな美を、私の生命に開展した”

"暴力こそ臆病の変形です。いつの時に限らず、人間同士が自己の都合から、その生命に手を下すのは自然に対する反逆です”

(以上、記念館で購入した『命と愛のメッセージ』参照)


生家を出て、そのすぐ裏にある「智恵子の杜公園」へ向かった。智恵子が光太郎とよく散歩した場所だという。若干ハードな山道を登りきると展望台があり、智恵子が愛した風景を眺めることができる。「あの光るのが阿武隈川」の上には、淀みない青空が広がり、「ほんとの空」、安達太良山の山の上には西日が向かっていた。鳥たちのおしゃべりを聞きながらその景色に見入っていると「どうですか、私のふるさとは」と誇らしげに智恵子が語りかけてきた。

阿武隈川

西日