上の表は安倍さんが総理になってから増え続けた「桜を見る会」の招待客数です。

 

 ところで、今回、突然の様にこの「桜を見る会」が野党の追及を受け、<おかしいんじゃないの!?>と俎上に上がったのは、ひとえに、予算を倍増するように要求したからです。

 今までは2千万円台だったのに、例年の様に赤字になっていたために一気に5千万円台の予算を請求したのですが、国民に消費税などの負担を押しつけておきながら、「桜を見る会」などという暢気な花見の宴に費やす税金を増やすのはおかしいだろう・・と考えた野党が追及したために見えてきた実態の様です。

 

 そして、よくよく調べると安倍総理の後援会関係者が1万8千人の内、850人も招かれており、しかも、どうやら東京ツアーとセットになっていて安倍事務所が政治利用としてやりたい放題だった実態があった!と。

 

 そうした実態といい加減振りが今週は大問題になっている訳ですが、なんと、昨日ツルの一声で来年の中止が決定しました。

 安倍総理自身が中止を決定したと明言したのですが、幾ら何でも疾風迅雷のような即断即決ぶりに、野党は一斉に<臭い物にフタかよ!?>と騒ぎ、与党や地元からも<やり過ぎだった!!>という声が高まっています。

 

 

 

(朝日新聞 11/13 21:34配信)

『安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の来年度の開催が急きょ中止になった。不透明な招待基準への批判が高まり、首相事務所の関与疑惑が明るみに出た末の方針転換。「(このままでは)ぼろが出るからじゃないか」。不信感は収まりそうにない。

 

 毎年4月の桜を見る会で会場となる東京・新宿御苑。13日夜、近くを歩いていた都内の病院職員の女性(46)は突然の中止決定に「え、そうなんですか」と驚きの表情を浮かべた。最近の報道で、なぜ招待されたのかよく分からない人まで参加していると知った。「あり方を見直すのはいい」と話した。

 

 桜を見る会の運営を巡っては、8日の国会質疑を通じ、具体的な招待基準が不明確だったり、参加者が公表されていなかったりする点への批判が高まった。

 

 大阪市中央区のオフィス街で知人といた大阪府枚方市の会社員女性(60)は「責められてやめるのがあやしい。何かぼろが出るからじゃないか」と語った。首相の地元から多数参加していたことについて「招待者にちゃんとした基準がないのはおかしい」とあきれる。堺市の主婦(54)も「自民党の予算なら構わないけど、税金を使っているのが腑(ふ)に落ちない」と疑問を口にする。「地元の人を呼ぶのが慣例化していたのなら、政治家としての質の問題だ」と語った。

 

 安倍首相の地元からも批判があがった。首相の後援会員で、今年初めて桜を見る会に参加した山口県下関市の男性は「会場で振る舞われる食事や飲み物もサービス過剰だと思った」と言う。「台風など災害で苦しんでいる人がいるのに、莫大(ばくだい)な予算を確保して開催するのは疑問だ。休んだ方がいい」と話した。

 

 一方で、意義があるとみる参加者もいる。

 

 長く国際交流に携わり、5年ほど前から招待されてきた都内の女性(41)は「中止はとても残念」と話す。芸能人だけでなく、各国の大使館関係者など多くの外国人参加者もいて、「桜をめでるという日本の伝統文化を世界に知ってもらう意義のある会」と感じていた。参加者が年々増えている気はしたといい、「国民が納得できるようにきちんと説明してほしい。私は招待者の名簿が公表されても全くかまわない」と話した。

 

 1990年代から20回以上、桜を見る会に参加してきたという放送プロデューサーのデーブ・スペクターさんは「美しい桜や芸能人を見られる楽しい会。フェアな方法を考えていつか再開して欲しい」と求めたうえで、首相後援会のメンバーが参加していた点は「票につなげるためだと非難されても仕方ない」と指摘した』

 

 

 

 昨日のブログでは『花は桜木、人は二ノ 男のケジメの見せ所』というタイトルをつけて、安倍総理が実質的に主催する「桜を見る会」と「二宮和也君の結婚」二題を記事にしました。

 

 そこで書きたかったのは、桜に代表される日本の美しい心、大和男の子の潔い出所振る舞いについてでした。

 

 最近、話題沸騰の「桜を見る会」は<安倍総理や自民党議員の選挙活動に有利にするための事前活動だ!>と、広く国民の多くが実態を知って初めて抱いた不信と憤りの代名詞になったのです。

 

 それはそうでしょう。

 

 今や日本はお年寄りの年金を減らし、銀行に預けてある預金は利子よりも維持費の方が高くなるかも知れないようなゼロ金利の治世下。

 にもかかわらず、アメリカのトランプ大統領から押しつけられれば馬鹿高い兵器をごっそり買ったりと大判振る舞いをするのに、予算が足りないと言い訳をして消費税を上げている始末。

 

 ところがその影で、自分のお気に入り達だけが得をするような土地の払い下げや花見の宴を開いているなんて知ったら、そんな持ちつ持たれつの関係とは縁の無い圧倒的多数の庶民が怒るのは当たり前の話でしょう。

 

 1億2千6百万人の日本人のリーダーである総理大臣として本当に責任ある姿と言えるのか・・?疑問が膨らみます。とても「花は桜木、人は安倍晋三!」と自信を持って応える事は出来ないでしょう。

 

 そしてもう一題。

 

 

 同じ昨日、千葉県の森田県知事がー

 

「台風15号が来襲した翌日の9/10に芝山町に出掛けたのは個人的な視察の為に、公用車を私用車に乗り換えるため自宅に行った。週刊誌では別荘と書かれていましたが、あれは自宅でございます!!」

 

 と、あれほど大声で主張していたその<自宅>がやはり別荘である事が、週刊文春の二ノ矢記事で登記簿的に自宅では無く別荘である真実が暴かれたのです。

 

 

(文春オンライン 11/13 16:00配信)

『「週刊文春」11月7日発売号に掲載された森田健作千葉県知事(69)の 「公用車で別荘」疑惑 。同記事は、9月10日、台風15号で深刻な被害が伝えられる最中、森田氏が公用車で千葉県・芝山町にある「別荘」を訪れていたのではないかと報じた。

 

 11月7日の定例会見で、森田知事は、芝山町の家に行ったことは初めて認めたが、「別荘ではなく、私の自宅なんでございます。それは明確にしたいと思います」と強く反論した。しかし、「週刊文春」の取材で、森田氏が別の住所を「自宅」として公的に届け出ていたことが分かった。

 

 森田氏が再選、3選を果たした2013年、2017年の県知事選。千葉県報には、森田氏自身が千葉県の選挙管理委員会に届け出た内容として、こう記されている。

 

〈森田健作 本籍地:東京都 住所:千葉県千葉市中央区都町●丁目●番●号〉

 

 この「住所」こそ、現在の森田氏が生活の拠点とする県知事公舎だ。総務省選挙課に、選管に届け出されたこの「住所」について聞いたところ、次のように回答した。

 

「現住所つまり生活の本拠地という位置づけです。住民基本台帳法の、現住所に住民票を置くという原則に従えば、ここで届け出ているのも住民票の住所だと考えられます」

 

 さらに住民票の提出が求められる不動産登記においても、森田氏は知事公舎を「住所」として届け出ている。2013年、森田氏と夫人、息子の3人は、夫人の父親から熊本県内の土地と建物を贈与されているが、登記簿に記載されている3人の住所はいずれも知事公舎だ。

 

 森田氏の元秘書が断言する。

 

「あの家は別荘以外、何物でもありません。パーティルームがあったり、森田氏の俳優・タレント活動を振り返る特別室が設けられたり、とにかく豪華な造りで自宅仕様ではない。県知事就任前は、東京・日本橋にあるマンションを自宅としており、森田氏自身が芝山町の家を『別宅』と呼んでいました」

 

 居住実態や確認できる選管や登記簿などの公的書類では、森田氏の自宅は千葉市の知事公舎となっており、いかなる根拠に基づいて、記者会見で芝山町の家を「自宅」と説明したのか、さらなる説明を求める声が高まりそうだ。

 

 11月14日(木)発売の「週刊文春」では、公用車で別荘を訪れていた疑惑の他、約5000万円におよぶ使途不明金問題や、政治資金での数千冊の自著購入など、数々の新疑惑を5ページにわたって詳報している』

 

 

 誰が聞いてもおかしな「プライベート視察」という言い訳。

 

 千葉県民627万人のトップとして、台風来襲前から被害に備え、来襲後は誰よりも迅速に被災者を救うために動かなければならない森田健作知事はなんと、自分が客を招くために贅を尽くした創った豪邸別荘が気になって訪れていたとは。

 

 もはやそうした認識はどんな言葉で否定しようとも確定した認識となっていると言えるでしょう。

 大勢の人間が常識で考え、627万県民のトップがとるべき行動の規範から考えても外れた行動をとっているのですから、あとは言い訳を言えば言うだけミットモナイ姿を晒すだけ・・となります。

 

 正にここでも、「花は桜木、千葉県知事は森田健作」という言葉は地に堕ちたと言えるのかも知れません。

 

 1億2千6百万人の日本人を率いるべき立場にいる安倍晋三総理。

 そして、627万人の千葉県民を率いるべき立場にいる森田健作知事。

 

 「花は桜木、人は武士」と言う言葉は、日本人全体が誇りに思える美しい日本の自然の代表として<桜の花>を讃え、ノブレス・オブリージュという人間の誇りと尊厳を体現する存在として<武士>を讃えたのだろうと思います。

 

 今、「人は安倍晋三」と「人は森田健作」という言葉を聞き、その意味を想うと、まるで違う意味と姿が見えてくるような気がします。