最近、小泉進次郎氏に対して<話す言葉がポエムだ>とか、<中身が無い>と言った批判的な記事や論調を頻繁に見かけます。

 特にこの傾向は彼が環境大臣に就任して以来、特に強まっています。

 

 そもそも、安倍内閣の改造人事が台風15号が千葉県を直撃して甚大な被害が出ている最中だったと言う事もあるでしょう。

 被災者にとってはー

 

 <冗談じゃねえよ!俺達を捨てて内閣改造かよ!?>

 

 ーと言った、やるせない気持ちのはけ口になったきらいがありますし、小泉進次郎君と滝川クリステルさんが結婚をしたばかりで、まるでご祝儀の様に大臣ポストを手にしたことが、反感や嫉妬の対象になったということもあるでしょう。

 

 但し、単に嫉妬の対象になっていると言い切れないのは彼がニューヨークに出張して国連の気候サミットに参加した際、流暢な英語を語る中で出て来た<セクシー>という言葉の使い方が誤解されたり、外国人記者会見の場で質問された際に、言葉に詰まった事も、国民的な疑念を強めたような気がします。

 

 <ただの平議員の時は適当な事を言っても見てくれや若さでごまかせたけど、大臣になって本当に大丈夫なのか!?>

 

 「ポスト安倍」という呼び声が高くなるにつれ、もしかしたら永田町の何処かで、<大きく育つ前に叩け!>という意志が強まり、その意志が反映してマスコミで“小泉進次郎新大臣は大丈夫か?”という声が大きくなっていると言う事もあり得ます。

 

 さはさりながら、ニューヨークでの小泉新大臣は初めての晴れ舞台に出演する事でちょっと浮かれすぎていたのかも知れません。

 

 

 

(日刊ゲンダイ 2019/9/25 15:00)

『「気候変動のような大きな問題に取り組むには楽しく、カッコ良く、セクシーであるべきだ」

 

 国連の環境関連イベントで“セクシー”な気候変動対策をブチ上げて失笑を買った小泉進次郎環境相。発言の真意を問われても「どういう意味かと説明すること自体がセクシーじゃない」「やぼな説明はいらない」――とノラリクラリだったが、永田町では「“6秒間の沈黙”の方が大問題」とささやかれている。

 

 進次郎氏は海外メディアとの会見で、記者から「環境省は脱石炭火力発電に向けてどう取り組むのか」と問われ「減らす」と回答。「どうやって?」と突っ込まれた途端、目を泳がせながら約6秒間沈黙してしまったのだ。

 

 そして、何を答えるのかと思いきや、「私は先週、大臣になったばかりです。同僚や環境省の職員と話し合っている」と臆面もなく言い訳したのだから呆れてしまう。「日本政府は火力発電を減らす方針です」と苦し紛れに付け加えたものの、中身ゼロ。無能ぶりが海外デビューの場であらわになってしまった。

 

 ある自民党中堅議員は進次郎氏の“6秒間の沈黙”について、こう解説する。

 

■父・純一郎が頭をよぎったか

 

 「政府は『エネルギー基本計画』で、2030年度に電源構成のうち原発依存度を20~22%にする方針です(16年度1・7%)。進次郎さんは質問に対して『CO2を排出しない電源エネルギーの比率を上げていく』と答えればよかったのですが、そうはいかなかったのでしょう。記者に『原発と再生エネルギーのどちらを重視するのか』と畳み掛けられる恐れがありますから。父親の純一郎元首相が明確に脱原発を掲げているので『原発』とは答えにくいし、政府が原発の比率を上げると打ち出している以上、『再エネ』とも言い切れない。だからこそ、沈黙せざるを得なかったのだと思います」

 

 進次郎氏の頭の中で、父・純一郎の脱原発の“影”がチラついたのか、それとも、政府の方針に反するから何も言えなかったのか――。いずれにせよ、“6秒間の沈黙”は進次郎氏が無策であることの証左だろう。

 

 「小泉大臣の魅力は発信力ですが、それは選挙演説の時に発揮されていた力です。選挙区のご当地ネタや候補者を褒めるのがうまくても、省のトップが政策について語ることができなければ、単なる勉強不足とのそしりを免れません。国会でも『大臣になって日が浅いので』という理屈を通すつもりでしょうか。勇み足の外交デビューだと言わざるを得ませんね」(政治ジャーナリストの角谷浩一氏)

 

 父親を恐れ、閣内不一致を恐れるなら、環境大臣なんて受けるべきじゃなかった。

 

「セクシー発言」の直前、進次郎氏は「政治にはたくさん問題があって、時に退屈だ」と何げなく語っている。「退屈」だと思うなら、政治家だってさっさと辞めた方が“セクシー”じゃないか』

 

 

 

 今朝の時事通信でも政権内に懸念とか、野党が意味不明と批判する記事が掲載されています。ちょっとした四面楚歌状態と言えるかもしれません。

 

 ところで、小泉進次郎君の父親である小泉純一郎元総理は国民向けに語ったり、国会の質疑の中でも実に短い言葉で語るのが得意でした。

 時に、矛盾に満ちた言葉を語っても長い政治家暮らしの中で身につけた“したたかさ”や“図々しさ”で論理的説明をすることなく煙に巻いてきたのです。

 

 進次郎君も演説を聴いていると、実にお父さんによく似ています。

 私設秘書として付いていた時期もあるので、その間に学んだのでしょう。

 しかし、彼はまだまだ30代の若さで純粋に見えます。

 真に国民のことを思い、真剣に自分がやらなければならないことを語ります。

 

 ところが、<やらなければならない事>と、<やれる事>には明確な深い溝があるのです。

 例えば演説などで未来構想を30代の政治家が目を輝かしながら、明確な言葉で<自分はこうしたい!>と語れば、有権者はその若者の未来性と純粋性に魅せられます。

 

 ですが、大臣になれば全く今までとは違うのです。

 

 例えば彼が新大臣になった時、福島に赴き漁業関係者に福島第一原発の処理水の事について語りました。

 前大臣が「最早限界なので海洋放出しかない!」と語った事を詫びた訳ですが、果たして彼が詫びたことが政府閣僚として適切だったかと言えば、実は疑問です。

 

 第一に、日本政府は福島第一原発で汚染水を処理した水をタンクに貯め込んでいるが、その処理水に含まれるトリチウムの量は基準値以内だから問題は無い!という立場を説明しています。

 特に最近ではその事にイチャモンをつけている韓国に対しても<問題ない>と返答しているのです。

 

 ところが小泉新大臣の言葉では、<海洋放出すると風評被害が広がり漁業関係者を更に苦しめることになるので、そういう事は無い>という風に否定しています。

 

 この言葉と立場は政府の方針と食い違いを見せています。

 

 そしてこの案件こそがヒラ議員と大臣との大きな違いなのです。

 

 ヒラ議員の中でも地元選出の議員は地元の有権者が怒るような言動は極力しないものです。自分の選挙に関わってくるからです。

 ところが、大臣ともなれば最優先は「国益」であり、国民全体の利益と地元の人々の利害相反を天秤にかけなければならない事態が必ずやって来ます。

 

 代表的な案件が沖縄の米軍基地です。

 

 日本国民と国会議員は、特に政権を握る国会議員達は「国益重視」の立場から、戦後74年間ずっと沖縄県民の人権を無視し、大多数の国民の利益を図っています。

 

 今、福島で同じような事態を迎えようとしているのです。

 

 私は小泉進次郎という若い国会議員が本当に総理大臣になれるかどうかは、この福島第一原発の敷地に貯め込んでいる汚染処理水を海洋放出する側に立った時、つまりそれは政府の決定という意味ですが(その時点でまだ環境大臣であれば)、正にその時に決まるのでは無いかと思っています。

 

 もしかすると、その時点では別ポストに就いているかも知れません。

 また、海洋放出を先延ばしにするために更に敷地を拡張してタンクを建て増しするかも知れません。

 

 恐らく東京オリンピック&パラリンピックまでには放出しないでしょうから、ポスト安倍レースで勝ち抜いた次の総理大臣になる人物の腹次第でしょうね。

 

 小泉進次郎君がその時に総理大臣になる・・のは、まだ少し早い気がします。