しかし一体、何を理由に突然、島田くんの家を訪れれば良いのだろう?
まあ、この際、理由などどうでもいい。
「駒沢で仕事があってさ、ついでだから赤ん坊見にいってもいい?」
見え見えなウソに島田くんが電話越しに鼻で笑ったように思えた。
「いいですよ」
その声は冷静だ。去年ほど酷くはないかもしれない。ここが
水際なら今の立ち位置から引き返してくれればよい。
「本屋で算数ドリル買ってきてもらえませんか?」
瞬時に願望が打ち消された。仕方なく書店で小学5年生の算数ドリルを
購入する。去年は小学校4年の算数ドリルを購入した気がしたので、
一年進級させた。
去年も訪れたマンションのインターフォンを鳴らす。島田くんが扉を開ける。
靴を脱ぎ、部屋に入ろうとすると、
「手を洗ってうがいをしてください!」
生後5ヶ月の赤ん坊がいるのだからムリもないが、こいつに言われると
素直に従いたくない気もする。たとえ僕に子どもが生まれ、僕の家に
島田くんが来たとしても、この男は絶対、手なんか洗わないだろうし、
うがいなんかしないだろうから。
部屋に入るとデビッドボウイと仁義なき戦いのムック本が机に置いてあるのが
目に入る。その下にはトップシークレットと書かれた手帳が。
妻に見せたくないものをそこに書いているのだという。
トップシークレットと書かれた亭主の手帳が机に置きっぱなしになっていたら
嫁は見ないものだろうか?むしろ見てくださいって言っているように思える。
島田くんがトイレに行くというので、その隙に疑問を妻に投げかけてみた。
「全部読みました」
妻は眉間にしわをよせ答え、絵に描いたような音の出るため息をつく。
するとトイレからは島田くんの声が聞こえる。
「俺さー朝パンツ履き替えるの忘れちゃった!パンツ取って!」
再び妻が絵に描いたような音の出るため息をつく。
「パンツ履き替えるの今日三回目です。」
パンツを午前中で三回も履き替え小学五年生の算数ドリルを解く、
乳児の父親の姿を見たら、この妻こそノイローゼになるのではないか?
なんだかサザエさんがシングルマザーでカツオとタラちゃんを育てているみたいだ。
この家には波平もフネもマスオもワカメもいない。その上、肝心のサザエさんも
だいぶ気落ちしている。
「ベランダでタバコでもすいませんか?」
カツオに誘われ、2人してベランダでタバコを吸う。
「倉持さんから何か聞きましたか?」
いきなり核心を突かれ動揺したが、正直にうんと返事する。
「いや、今回は本当にはめられたんです」
彼の陰謀説が始まった。