ども。
さていきなりですが、
人生を変えていくにはワクワク感を持てることを明らかにして、そこに向かっていきましょう、
とか、そんな感じの話があったり、それをサポートするので一緒に頑張りましょう!、
とかあったりします。
世間では。
それは本当に正解で、自身でも「have to」ではなく「want to」で生きていきたい、
~で生きねば何も変わらない、などと大層なことを(苦笑)書いてきた記憶があります。
・・・・・。
「~ねば何も変わらない」。
・・・・・。
やってるそばから「have to」に思考と行動が変質してしまっている(苦笑)。
で、はたと気が付いた。
小生のような蛮人、いや凡人が「ワクワク感を持ち続けること」、
そもそも「ワクワクすること」、
を正しくセット出来てるだろうか?ということを。
そもそもが、心の底から「幸福感」に包まている人はこんなことを考えてないだろうし、
大抵の人が日常茶飯事の中では「ワクワク」を”ちょっと横に置いておいて”なんてことをやっている・・・・・、
んじゃないかなぁ、なんて(苦笑2)。
さらには「ワクワクすること」はちゃんと心の底から湧き出てきている自分の本心か?
さえも疑わしい。人生の中で植え付けられてきた社会通念(信念)じゃないの?(苦笑3)。
例えばお金は心の底から欲しいし(いい歳して正直過ぎw)、沢山欲しいなぁと思うが、
大抵の人が知っているようにお金は「道具」で「で、どうすんの?」がちゃんと無いとより不幸になりそうだし(実際そうみたいだし)、
「こうありたい」、「こういう状態にしたい」の「こう」って、ホントに”10年単位”で「こう」が続いたとしても幸せかい?とか。
ちょっとだけ毒を吐くけど、
「人に貢献したい」とか、「人の喜びを自身の喜びとしたい」とか信じられないな(苦笑4)。
そんな「聖人」じゃないでしょ?俗人、少なくても小生は。
「営業は貢献」、「Win/Winだから」は正しくまさに正論だし、自身も長年営業職を生業にした。
残念ながら製品といえど部品だったので、取り付く製品の機能向上に喜びをそれなりに感じたけど、
その最終製品を使う人の喜びまでには思いは至らなかった(恥?)。
そこまで思いを寄せることが真の営業職なのかな?と営業職ではなくなった今、気がついた(爆)。
まぁ、お金の件もふくめ、「他人の目」、「他人との比較」や「世間一般」を基準にしていないかな?と思ったり。
んで今のところ自分は無理。昨年一年使って自分が俗人でしかないこと、まだまだ「他人軸である」を自覚して、
「ではどう在りたいか?」
改めて、本当の意味を問えるようになった気になっています。
ねっ?我が心理士さん。
続きはまた、書きたくなったら(苦笑5)。
でわでわ。