ども。
先般「最近は人に興味が無い」と描きましたが、これは一体どういうことだろうか?ということを考えてみました。
結論から書くと、
「最低限のコミュニケーションでも生きていられる”コンフォートゾーン(安全地帯)”に満足しているから」
ということなのかと。
現代社会は、また元々人間は社会性をナシにする訳にはいきませんので、
必要最低限の他人とのコミュニケーション、または外界との関わりを完全に遮断することは出来ません、どんなひきこもりだってね。
だから
「新しく友達、恋人を作りたいな」
「あの友人とさらに深く理解し合いたいな」
というエモーションが発生しなければ、他人や世の中に興味を持たなくて良いわけです。
さて、これは「悪」なのか?
自己啓発的には「ゾーンの外に出ることの重要性」は非常に多く語られますね、一般的に。
正直「ゾーンの外に出る」「枠越えする」なんて、そんな辛くて心身ともに体力の必要なことは無理、今の自分は。
実際、多くの人が挫折するから自己啓発の世界でいつでもどこでも語られているわけでしょ?
んで考えた。
「別に枠外に出なくても良いじゃん」
それと
「それよりゾーンを形成する直径(対角線)を大きくて”ゾーンを広げ”れば良いんじゃね?」
それなら
「ゾーンの中に存在する人の数が増えなくても、ネットワークか拡がらなくても良いんじゃね?結果的にゾーンの中の人も増えるかもね。知らんけど。」
と。
要は面倒なので極端に書くと、「営業」になるか「職人」になるかの違いかなぁ、自分には。
んで「営業」はもう、過去30年もやってきたので、「職人」の世界に興味が向いているのかな?と思っているわけです。
それじゃあ「副業」はちっとも広がっていかないわけで”28万円の靴”はいつまでたっても買えません。
……。
でもいいや、そこに価値を見いだせないから、無理して同じ道を歩もうとは思いません。
過去、合わせようして頑張ったらアタマがパッカーンしたんだし(泣)。
ということで、コンフォートゾーンから飛び出るのではなく、拡大していくことでも同じ意味を得られることは可能だと思うし、
「友達5000人」作ろうが、「極力1人でいる」状態であろうが、やろうと思えば社会に与える影響も大差はない、と考えるわけです。
というわけで今は、1人で「職人気質」を極める方が、”他人に貢献しよう”などという野望よりも心地好い、という結論になりました。
思えば大昔から、どっちかと言うと「気質」の方に傾いていて、あの時に「貢献」なんて思いついたのは血迷っていたな。
でわでわ
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