拝啓
『歩道橋を駆け上がると夏の青い空がすぐそこにあった。
絶対届かないって分かっているはずなのに
僕はつま先で立って思いっきり手を伸ばした。』
このフレーズを支持しているということが、
小生が精神的に立ち直っていることの証明である、
と思っています。
今はまだ春だけど。
ども。
小生が昨今オキニにしている欅坂46の新曲「黒い羊」のパフォーマンスがテレビで流れるたびに、
ネット上ではその歌詞とパフォーマンスの意図(意味)を、ファンが解釈を述べたり、議論したりされています。
こういう
「社会システムや集団の中で疎外されていると感じている人間」
について、SF作家 P・K・ディックに傾倒したことがある過去を持つ小生には、
製作者表現者がどこまで意図して企画、パフォーマンスされているのか?
までを知りたくもなります。
神学、哲学、形而上学的なバックグラウンドがあると、
表現者たち、「アイドルに応募して集まった女の子たち」も元々、
「無機的苦しみへ立ち向かおう」と決意して立ち上がった集団でもありませんので、
”どうなるのか?どうすべきか?”については
”厳しいけど頑張ってね”
と、答えを求める「藁をもつかみたい人間」には厳しくて・・・。
ディック氏はその点、SF小説という道具を使って特殊解を導き出して、
それをなんとか一般解にすべく、もがいて苦しみ努力した、
という点において「優しい」と思うのです。
故に「絶対届かない」と分かっている自分なのに、
「やめられない」と宣言して共感を求めているほうが「優しい」。
そして泣ける(恥)。それではどうぞ。
欅坂46 - 世界には愛しかない
冒頭で叫び声をあげるのは、メインボーカルの子のアイディアとのこと。
「信じること」を宣言して共感を求めるこの歌に、「青春の叫び」は合わないと小生は思うのですが・・・・・・。
駄文と拙い評論を読んでいただいたこと、深くお詫び申し上げます。
敬具