拝啓
 

最近、お気楽な記事ばかりを書いている気が、本人はしているのですが、実はそうでもない。


求職の「散弾銃」はやめて、狙いを絞った「ライフル」に切り替えたとはいえ、昨日現在で、どこからも音信不通というのは、


やはり焦りや不安を抱えてしまうのは、適当障害うんぬんは関係ないものだと思いたい。


こういった時に適当障害で通院している場合、カウンセリングを受けて心情を吐露して、


その人にあったアドバイスを受けることが有効で、小生も何回か受けているのであるが、


その建前とは裏腹に、なんか満たされないものを感じてしまうので、予約するのをやめてしまった。



それは結局のところ、心を病んでいる人間、もしくは何かを抱えている人間が欲しいのは、

 

 

「共感」

 

 

なのだと小生は思う。

 
 
カウンセラーさんに抱えている問題や、日頃考えていることを一生懸命話しても、
 
同意はしてもらえるが、共感はしてもらえない。仕事だから、いちいち共感していられないのだ。

 
しかも相手は大抵、調子っ外れなんだから。
 

共感をしているとカウンセラーさんのほうが、先に「アウトな人間」になってしまうんだろう。
 
 
 
それゆえに彼ら(彼女ら)から得られる回答が、ちょっと本を読めば分かる、模範的な内容ばかりなのは、
 

自らを守るための防衛手段なんだなあ、と最近気が付いた小生は、まだ調子っ外れなんだろうか?
 
 
相変わらず共感を求めている自分がいて、誰も共感してくれないことに憤っている。
 
そして共感を求めていることを隠して暮らし、我慢の限界が来ると”壊れる”。
 
 
このことを「甘え」とも言えるのかもしれないが、限界値は人それぞれ。
 
「甘え」ではなくて「逃げ」といわれれば、それもそうだ。

某有名アーティスト(彼のアウトプットが”アート(芸術)“かどうかは横に置いておいて)が、

100分間も語った内容は「甘え」、「逃げ」と言われようとも共感せざるを得ない。

例え彼が女性であっても、それは変わらない。皆が建前で言うほど、皆が強くはないのだから。

それではどうぞ。

JAPAN - Ghosts

この歌のように、小生の人生もうまく行くかと思った瞬間に、

嵐が吹き荒れてしまいました。

敬具