何から書いてよいものか悩みますが...



まず何よりショックですっ!!!


今年の春、新横浜で「僕が最後まで見届けますよ」って仰っていたのが、
昨日のことのように思い出されますが、そんなことをナイーヴに信じていた自分が結構恥ずかしかったりもします。


長年に渡ってお世話になったにも関わらず、こんな文章でお別れすることをご容赦頂きたいと思いますが、最近それでなくても涙もろい(苦笑)のですいません。

私がまだいわゆる「ペーペー」の頃からご指導を頂き本当にありがとうございました。


懐かしい想い出は色々ありますがまず第一番に初めて同行して頂いて外出したときのことです。
「まずは一通りやってみろ」
と言われてサポートを頂いてお客様との面談が終わったときに一言
「うん、一人で大丈夫だねっ!」
と仰って頂いたのは嬉しかったのですが翌日から本当に「ひとり」にされてしまい、毎日会社に行くのがつらかったのですよ(笑)
だって、業務の細かな内容はほとんど知らなかったですし、担当も持っていないので朝出社しても「何もすることが無かった」のですから。



次に思い出されるのは私が十二指腸潰瘍になったときのことです。
近隣の「腕の良い」胃腸科を紹介して頂いたことは本当に感謝しています。
あの時はありがとうございました。しかし...、


あの時が「初ア○ル」でした(驚)。
あの時の衝撃は今でも忘れられないですよ(笑)。


「ヘンな意味」ではないので「ヘンな趣味」がどうだこうだ、ということではないです。


まぁ、これらに限らず朝早く、練馬のデ○ーズでモーニングセットをよく食べたこととか、
群馬県や茨城県の山の中を地図も持たずに営業車で疾走したりとか、
アポよりも早く現地に到着した時間つぶしに、勤務時間中にもかかわらずP屋に入ったりとかしましたね。

出先の仕事を終えて机の前で一息つくと、デスクワークは何一つ手をつけていないにも関わらず、
「それは今すぐやらなくてもいい。時間だからいくぞ」の”別の意味での”業務命令でマージャン屋へ連れて行かれ朝の6時ごろ開放されたとか....

あの朝の自宅で飲む味噌汁の味は格別でした、この世のものとは思えないくらいでしたよ。


もうあれから数十年経ちましたが結構思えているものですね。
懐かしい...、本当に懐かしいです。



しかしそれもこれももう「続き」は無いようですね...。本当に残念です。


どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?

「あの暴風」はこのまま吹き荒れて、全ての人を吹き飛ばして全てのものをつぶしてしまうのでしょうか?
我々「住人」はやはり早急に”避難”したほうがよいのでしょうか?


いやいや、もうこの辺で困らせてしまうのはやめましょう。


本当に長い間ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

今、我々の周り、また世界中で大変な苦境に陥っていますが、
今までと変わらない今後のご活躍を遠くよりお祈りしております。



と、月並みな言葉で終わってしまうのは本当に悔しいので...、



ん~ん.....



あの南浦和の飲茶屋行ったときにはもう決めてたんですね!この裏切り者っ!!



なんて(汗)。すいません。


では、もし気が向いたら個人的に連絡を頂けたら嬉しいです。

まだ美味い物の話や、どうでもいい話をして過ごしましょう。


長くなりましたが最後に、

本当に今までお付き合い、ご指導頂きましてありがとうございました。


-やかん-