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  3.11



2011.03.11
東日本大震災のあったあの日、今でも鮮明に記憶がある





私は埼玉県は川口駅前のリリアと言うビルの17階にいた。

女性経営者の会議とやらに出席していたのだが、上は90歳下は33歳の幅広い年齢の集まりだった。


まず、下から突き上げる様な大きい揺れがぐらっときて、少しずつ大きくなった。揺れは、会議テーブルを左右へ1メートルほど大きく揺らす。

その揺れるテーブルの下にに90歳のおばあちゃんが隠れて大きな声で
『まだ死にたくないーー!!』
と叫んでいたのがとても印象的だったし、この世の終わりかと思った。


埼玉県でも震度5強を記録していたと思うが、もちろんエレベーターは止まり、階段で17階から地上階まで全員で降りた。
降りる途中も余震があり、壁からは白い粉がパラパラと降ってきた。

地下駐車場に止めた私の車は出せなくて、寒空の中3時間ほど待った。


すぐ会社に戻り、電車が止まり、帰れなくなったスタッフを4人送って行き、家に帰った時は、深夜2時を回っていた。
2犬で残してきた子供たちを抱きしめ、生きていたことに感謝した。


家の中も落ちた食器や、電子レンジでぐしゃぐしゃだったのを、片付けながらテレビを付けた。

テレビに映った映像は、この世のものとも思えない津波の情報ばかりだったので、そこでやっと地震の大きさを理解した。


翌日からは計画停電など、真っ暗な街と日に日に深刻になる福島原子力発電所のニュースに釘付けだった。



福島原発の現場と、東京の間でとやり取りが、吉田所長の記録としてドキュメンタリーとして映画にもなっている。





Amazon primeの会員の方は無料で見れると思います。



今の東京に暮らせているのも、当時の原発で体を張って制御して頂いた現場の方のお陰です。




その数ヶ月後には、福島から避難してこられた方の住まいのお手伝いを100件以上させて頂いたり、節電や、放射能を気にする生活もくっきり記憶に残っているし、忘れてはならない事だと思う。




毎年3.11は亡くなられたたくさんの方のご冥福を心よりお祈りすると共に、防災について考え直す日になります。


と、共に石川県の被災者の方々もまだまだ心配です。まだまだ気をつけてください。
できる範囲での復興支援をさせて頂きます。



最近は、千葉のスロースリップ現象も起こっていますし、関東であれば『首都直下型地震』や『南海トラフ』は頭に入れておかなくてはならない地震です。
皆様もこの日は防災についてご家族で話し合ってくださいね。




防災グッズも見直します