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安楽死、尊厳死について
昨日NetflixでPLAN75を見た
身よりも頼る人もいない老人達
75歳になると、自分の命の終わりを選べるという物だ。
先日、旦那ちゃんがDJをする、あるイベントへ行った。
私は1時間ほどしかいれなかったのだが、久しぶりに会った旦那ちゃんのディスコ時代の同僚と、ハグして別れた。
そして、その後2日後
旦那ちゃんから⚫️⚫️が(ハグをした元同僚)脳梗塞で倒れたみたい。と言われた。
えーそれは大変!あの時もベロベロだったもんね!後遺症酷くなければ良いけどね。
と会話していたのに、数日後お亡くなりになったと聞かされた。
旦那ちゃんは死に対して耐性ができていないので酷く落ち込む。
ですが、ここ数年で死生観が大きく変わった私は、お世話になった方や知り合いが急に亡くなるたびに、不思議な感覚が生まれてくる。
不謹慎かも知れませんが、、、
羨ましいな〜
と言う感覚。
私、頸髄損傷で首から下が動かなかった時、それはもう地獄でした。
24時間寝たきりで、腕も上がらなきゃ、起きることもできない。
スプーンも持てず、ご飯も食べれない。
う⚪︎こも自分で出せないし、息をすること以外、全て人の助けを借りないと生きていけなかった。
そんな経験があるからこそ、突然死の人のことを聞くと何故だか羨ましいという感情が生まれて来る。
この先年老いて、子供のいない私達夫婦は老老介護が目に見えているので、年老いて寝たきりの生活はそれもまた地獄だろう。
ですからポックリ苦しまないで逝けた方を見ると羨ましい気持ちになるんです。
これまた不謹慎かも知れませんが、余命1年と言われたら今の私は喜んで受け入れて、残りの人生を楽しく過ごす事でしょう。
あの樹木希林さんの生き様は理想です。
事故にあって以来、好きなことをして生きる!と言うのを徹底してるので、いつ逝ってもあまり後悔はない。
旦那を置いて先に逝くのは心配だけれど、死んでしまったら後は勝手にやってくれ!と言う感覚になれる。
安楽死という言葉を聞いた事あると思いますが、この安楽死には
安楽死に至る方法として、医師の助けを借りて死に至る積極的安楽死(せっきょくてきあんらくし、英語: positive euthanasia, active euthanasia)と、治療を行わないことによって死に至る消極的安楽死(しょうきょくてきあんらくし、英語: negative euthanasia, passive euthanasia)の2種類がある。そしてこれを尊厳死と呼んでいます。
私は後者側の考えはよく分かる。
PLAN75は前者なのでまだ理解できないけれど、このまま歳をとっていくと理解できる様になるのかな?
そんなことを考えなくて良い様に、愛してる人に愛を伝え、好きな旅行に行き、美味しいものを食べ、ポックリ逝きたいものだ。