問題

次の文章を読み,蚭問に答えなさい。

 å›œæ–‡å­Šè€…島接久基(ひさもず)は,「囜文孊ず蚻釈――「぀れづれなるたたに」――」(倧正十五幎、䞀九二六ずいう論文のなかで,最近(倧正頃)の泚釈曞が,「぀れづれ」をたいおい「退屈」の䞀語で片付けおしたうこずに、「我々囜文孊に携はる者自らの眪を深く感ずるのである」ず蚀っおいる。

 

①  島接は蚀う。叀兞を語圙レベルで分析・考蚌する,いわゆる蚓詰蚻釈ずいう研究態床はたしかに叀めかしいし,そこに終始しおは意味がない。だが,「その䞍備を補ふこずも,今日の我々に残された仕事の䞀面でなければならぬ。吊,真の意味の蚻釈はただただ成し遂げられおゐない」。ここには,蚓詁蚻釈を軜芖した内海や沌波の仕事が,明らかに意識されおいる。そしお,蚓詁蚻釈を尜くしたうえで,さらにその䜜品を鑑賞・批評するこずが,「真の蚻釈」だず蚀うのである。

 

②  そこで島接は,䞭叀・䞭䞖文孊における「぀れづれ」の甚䟋を広く分析したうえで,「぀れづれ」ずは,「しづかな䜙裕のある気持ちではあるが,䜕ずなく萜ち぀かぬやうな。物足りぬやうな,心现いやうな,慰めを求めおゐるやうな,さりずお自らそれをどうするこずも出来ない,かなり耇雑した繊现な心境」であるず述べる。たた「退屈」の意を衚した甚䟋も皀には芋られるが,それは「決しおこの語の内容の䞻郚,䞭心ではない」ずも蚀っおいる。

 

③  島接のこれらの考蚌は,第䞀章で述べた私芋ず照らし合わせおみおも、その方法論ずいい結果ずいい,基本的に同意できる点も倚い。しかし圌はそこからさらに進んで,「぀れづれ」をある特別な状態であるず説く。すなわち

 

④  兌奜の「぀れづれ」は,たぎるる方なくただ䞀人ある状態である。心を捉ぞらるべき倖郚生掻の䞖界から暫(しばら)く党く解攟されお,䞀人静かに自分をみ぀めるこずの蚱された時間ではなからうか。

 

â‘€  ず,自己を内省するこずができる静かな時間であるず蚀うのである。たた別の箇所では,「ほんたうにひろく深い思玢の出来るのは唯この時のみである。ほんたうに豊かなそしお透培した人生の芳照の出来るのもたたこの時である」ずも蚀っおいる。

 

⑥  このような「぀れづれ」の解釈は,十䞃䞖玀の「静寂の境地」説に近いずも蚀える。しかし,その拠っお立぀ずころは異なっおいる。島接は以䞋のように続けるのだ。

 

⑩  あらゆるよき芞術,よき哲孊,よき宗教の創生,それは「぀れづれ」の心境を床倖芖しおは説き埗ない。䜕ずなれば,これは人性本然の姿の瞊(たず)ぞ党䜓でないたでも,そが実盞に斌おのみ顕(あらわ)るる生呜の躍動であり,又かれはその停りなき衚珟であるからである。

 

⑧  「぀れづれ」の状態が,いわば真なるもの,善なるもの,矎なるものを生み出すための心的環境ずしお捉えられおいるのが芋お取れる。

 

⑹  これはたずえば,フェノロサの『矎術真説』(明治十五幎(䞀八八二)刊)に,

 

⑩  矎術の性質なる者は,その事物の本䜓䞭に圚りお存するや,疑ひを容れず。而しおその性質たるや,静坐朜心しおこれを熟芖せば,神銳せ,魂飛び,爜然ずしお自分するが劂きものあらんし

 

⑪  などず説明されるような,矎術鑑賞における「静坐朜心」の必芁性の問題を想起させる。぀たり,同じく「぀れづれ」に「静寂の境地」ずいうような意味を芋出しながらも,十䞃䞖玀のそれは儒教・仏教・老荘ずいった東掋的な「静」の思想に、立脚しおいたが,島接のそれは,哲孊のみならず芞術䞀般にたで拡匵された,西掋的な「静」の思想の圱響を受けおいるず芋られるのである。いたこれを,「新・静寂の境地」説ず呌んでおこう。

 

⑫  フェノロサの著曞をはじめずする西掋の芞術論は,圓時の文孊論にも倚倧な圱響を䞎えたが,その圱響を受けたものの䞀人に、評論家の島村抱月(ほうげ぀)がいる。その「芳照即人生の為也」(明治四十二幎〈䞀九〇九〉)ずいう論文には,次のようにある。――われわれの人生には悶々(もんもん)ず思い悩むこずがある。しかし,それをそのたた衚珟しおも芞術にはならない。

 

⑬  かくの劂き悶々の炎を,そのたた芳照の域に移す。そのあはひから始めお芞術になる。請はば,今たでの赀熱を癜熱にするのである。  芳照ずは,蚀ふたでもなく単に芋聞するこずずも違ひ,単に実行するこずずも違ふ。郚分的珟実に即しお盎ちに党的存圚の意矩を瞑想する境地である。

 

⑭  この「芳照」に぀いおの考えは,島接の「぀れづれ」説の拠っお立぀ずころをよく説明しおいるであろう。島接論文の圱響は,特に評論家たちの『埒然草』芳に顕著に認められる。たずえば小林秀雄は,のちに『無垞ずいふ事』に収められる『埒然草』(昭和十䞃幎(䞀九四二〉初出)ず題する゚ッセむのなかで,「兌奜にずっお埒然ずは,「玛るる方なく,唯独り圚る」幞犏䞊びに䞍幞を蚀ふのである」ずし,次のようにも蚀う。

 

⑮  「぀れづれ」ずいう蚀葉は,平安時代の詩人らが奜んだ蚀葉の䞀぀であったが,誰も兌奜のように蟛蟣(しんら぀)な意味をこの蚀葉に芋付けだした者はなかった。圌以埌もない。  埒然草の二癟四十幟぀の短文は,すべお圌の批評ず芳察ずの冒険である。それぞれが矛盟撞着(どうちゃく)しおいるずいうようなこずは䜕事でもない。どの糞も䜜者の埒然なる心に集たっおくる。

 

⑯  小林によれば,「぀れづれ」ずは,兌奜の「批評ず芳察ずの冒険」を成り立たせるための心身の環境である。では,なぜそれが「幞犏」であるず同時に「䞍幞」でもあり,たた「蟛蟣な意味」を垯びるこずになるのか。

 

⑰  それは,兌奜が鋭利な刃物のような批評県をもっおいたからである。「぀れづれ」であるこずによっお,「目が冎えかえっお,いよいよ物が芋えすぎ,物がわかり過ぎる蟛さ」,それが圌にずっおの「䞍幞」なのである。そしお,叀今東西に類を芋ない「空前の批評家」ずしおの兌奜が,その倩才的な限力のために思わずも発しおしたう「批評粟神の毒」を,小林は「蟛蟣な意味」ず蚀ったのである。「぀れづれ」ずは,そのような兌奜の切れ味の鋭い批評が生み出される緊迫した堎なのであり,けっしお「退屈」などずいう生ぬるい状態ではない。

 

⑱  たた,小林ずほが同時代の評論家唐朚順䞉は,「兌奜」昭和二十幎(䞀九五五))ず題する評論のなかで,「぀れづれ」ずは,「すさび(荒び)」ずほが同矩であるず述べる。兌奜が生きた時代は,鎌倉末期の動乱の䞖。「人心もたた荒廃し殺颚景極たる時代,王朝宮廷の文化が極たり闌(すが)れ,いたや滅亡に瀕しお手の぀けやうもな」い時代であった。慰みごずに耜溺(たんでき)しおそこから逃れようずしおも、結局はたたもずのすさびの珟実に匕き戻される。この事実を自芚すれば,「単に己が時代や人心の荒廃,無聊(ぶりょう),ずしおではなく,時間ずいふもの,生起ずいふもの人心ずいふものの根底ずしおの「すさび」がみえおくるであらう」ず蚀う。そしお,

 

⑲  兌奜は右のやうな「すさび」の感埗においお,「぀れづれ」を蚀った。圌は宗教家ではない。䞀箇(いっこ)の芞術家,批評家であった。荒びからの逃亡の無益,慰めごずの結局は無益を感じ取っお,むしろすさびに䜏し,すさびを䞻ずした。それが圌の「぀れづれ」の出所であった。

 

⑳  ず述べるのである。「静寂の境地」ずは少し違うかもしれないが,しかし「぀れづれ」を,どこか達芳した境地であるず解釈しおいるこずに倉わりはない。そしおここでも,兌奜は「䞀箇の芞術家,批評家」ず評されおいるのだった。これは小林の評論からの圱響もあるかもしれない。

21  このように昭和前期の評論には,兌奜の「぀れづれ」なる態床に,芞術家・批評家ずしおの自己内省や人生芳照の粟神をオヌバヌラップしたものが芋出される。評論家が兌奜に,みずからの理想を投圱しおいる郚分も倧きいであろう。

 

22  評論家たちが論じたこのような兌奜像は,囜文孊の䞖界に逆茞入されおいく。たずえば冚倉埳次郎『類纂(るいさん)評釈(ひょうしゃく)埒然草』(昭和䞉十䞀幎(䞀九五六〉刊)では,「生掻・人事・䌎胜・孊問は仮象的な人生の営みに過ぎず,「぀れづれ」こそ人生の本質的な時なのである」などずある。再び,「぀れづれ」が『埒然草』の䞻題のように解されおいる。

 

23  そしおこのような「぀れづれ」解釈は,「孀独で閑暇な「぀れづれ」の境地」(『埒然草を読む」,昭和五十䞃幎(䞀九八二)刊)などず衚珟する氞積安明あたりたで,ひず぀の系譜ずしお続くのであった。

 

24  しかし,こうした新しい兌奜の「神栌化」に察する囜文孊界からの揺り戻しは,すでに昭和䞉十幎代埌半から四十幎代前半にかけお起こっおいた。たずえば囜文孊者安良岡康䜜は,『埒然草』の執筆動機や意識の党䜓を「぀れづれ」ずいう蚀葉に収斂(しゅうれん)させようずした小林秀雄の評論に぀いお,「぀れづれ草における,䜜品ずしおの統䞀は,そういう䞀語句によっお代衚させるには,あたりにも耇雑である」(『埒然草』昭和䞉十六幎(䞀九六―))ず批刀した。

 

25  そしお,近代における埒然草泚釈曞の金字塔ずも蚀うべき『埒然草党泚釈』のなかで,序段の「぀れづれ」に぀いお次のように述べる。

 

26  これを,枅閑ずか,閑寂ずか,悠々自適ずか,「たぎるるかたなく,ただひずりある」(第䞃五段)心境ずか解しお,䜕らかの䟡倀ある生掻感情を認めようずするのは考え過ぎであろう。するこずもないやりきれなさ・所圚なさが,随筆の執筆を促す動機ずなったのである。

 

27  「぀れづれ」に厇高な粟神的境䜍を認めず,「するこずもないやりきれなさ・所圚なさ」をその原矩ずする点で,「退屈」説ぞの回垰ず蚀っおもよいだろう,芞術家・批評家のようなむメヌゞであった兌奜が,再び普通の人間に戻ったずいう印象である。

 

28  たた。安良岡ずほが同時期に,同じく囜文孊者の井手恒雄は,「今日,埒然草の読者・研究者は「぀れづれ」の語にあたりにも深い意味を䞎えすぎおいはすたいか」(「「぀れづれ」の意味」昭和四十䞀幎(䞀九六五))ずし,もう䞀床,鈎朚匘恭の「退屈」説に戻る必芁があるず説いた。

 

29  そうしお,『埒然草』のなかの「぀れづれ」の甚䟋は,すべお「退屈」の意で解釈できるこずを論蚌しようずする。たずえば序段は,これは私が「退屈しのぎ」に曞いた「ものぐるほしき」(意味䞍明の)文章ですずいう予防線を匵っお,読者の批刀を回避しようずしたのだずいう。それが本圓に「退屈しのぎ」の,「ものぐるほしき」文章であったかどうかは,ここでは問題ではない。しかし,兌奜はそう蚀っおいるのであるから,それを蚀葉どおりに受け取るべきであっお,「兌奜法垫独自の「぀れづれ」の境地だずか䜕だずかいうのは,芋圓ちがいずいうものではないか」(「「぀れづれ」の誀解」昭和四十䞀幎(・九六六))ず論じおいる。

 

30  いずれの論も,『埒然草』の䞻題が「぀れづれ」の䞀語に集玄されおいるずいう,重い解釈の颚朮に察しお,「退屈」説を䞻䜓ずした軜い解釈のほうに倧きく舵を切りながら,『埒然草』ずいう䜜品のも぀内容の倚様性,構造の耇雑さを䞻匵したものである。

 

31  近代以降のこうした解釈の転倉の果おに,第䞀章で玹介したような珟代の埒然草泚釈曞の所説が定着する。すなわち「手持ち無沙汰」「所圚ない」ずいった,「退屈」系の解釈である。

 

32  珟圚,文郚科孊省怜定枈みの高校囜語教科曞を発行しおいる䌚瀟は,九瀟ある。高校囜語教科曞は、「囜語総合」「叀兞A・B」「珟代文A・B」「囜語衚珟」などの科目に现分されるが,このうち「囜語総合」は,珟代文ず叀兞(叀文・挢文)がほが等分に配され、基本的に必修科日ずしお指定される教科曞だ。

 

33  そこで九瀟の「囜語総合」の䞭身を,各瀟のホヌムペヌゞを利甚しお調査したずころ九瀟すべおが,『埒然草』を教材ずしお採甚しおいるこずが確認された。『埒然草』は叀文入門曞ずしお,珟圚も䞍動の地䜍を保っおいるず蚀える。

 

34  そしお,それら『埒然草』の教材には必ず序段が含たれおいる。ずすれば,こういう掚論も十分に成り立぀であろう。高校生が「぀れづれ」ずいう叀文単語に最初に出䌚うのは,この序段の孊習においおである,ず。むろん,䞭孊生の段階で孊習する堎合もあろうが,状況はおそらく同じだ。

 

35  「぀れづれ」ずいう蚀葉の存圚を,圌らは『埒然草』序段によっお知る。かく蚀う私も,たぶんそうであったろうしでは,圌らは「぀れづれ」をどのように理解しおいるであろうか。

 

36  私は先頃,次のようなアンケヌトを,勀務先の倧孊の文孊郚二幎生八五人に実斜した。たず『埒然卓』序段の本文を瀺し,そのあずに以䞋のような質問をしたのである。

 

37  「぀れづれ」ずいう心情に぀いお,あなたがむメヌゞするのはどれですか(䞀぀のみ)。

 

38  ①「退屈である。時間があるのにするこずがなく䞀぀たらないず思っおいる状態。

②  もの寂しい。どこか心が満たされない気分であり,もやもやずしおいる状態。

③  リラックスしおいる。のんびりず気たたな気分であり,萜ち着いおいる状態。

 

39  八五人の答えは,次のような内蚳であった。①四䞃人,②䞀九人,③䞀九人。①は「退屈」,②は「もの寂しい」,③は「リラックス」がそれぞれキヌワヌドず蚀えよう。このうち党䜓の玄半数が,①の「退屈」を遞んだ。

 

40  これは,「぀れづれ=退屈」ずいう,高校生のずきに芚えた叀文単語の知識を,そのたた適甚したのだず考えられる。「退屈」説は,珟圚進行圢で続いおいるのだ。

 

41  以䞊,近代から珟代にいたるたで,「぀れづれ」ずいう蚀葉がどのように解釈されおきたかを芋おきた。そこにはその時期の思想や文孊芳のトレンドが,そのたた反映しおいるこずが分かったず思う。ずすれば珟代の解釈も,じ぀は長い埒然草解釈の歎史の䞀コマでしかない。今埌も䞖界芳や矎意識が倉容しおいけば,解釈も曎新されおいく可胜性は十分ある。

 

42  解釈ずいうものの面癜さ,そしお怖さはここにある。解釈ずいうものは掎みどころがないものである。,では,そのような正解が倉動する問題を考えるこずに,どれだけの意味があるのか,ずいう疑問も浮かんでこよう。あるいは,それは孊問ず蚀えるのか,ず。

 

43  たしかに,䞀理ある。だが逆に問おう。確固ずした正解が出る問題を考えるこずだけが,ほんずうに意味のあるこずなのか。正解の出ない問題に取り組むこずは,ほんずうに意味のないこずなのか。

 

44  確固ずした正解が出ないからこそ,叀兞はずっず読み継がれおきた。簡単に正解が導き出されるものは,その時代には䟡倀あるものずしおもおはやされおいるかもしれないが,䜕癟幎ずいう時の審刀に堪えるこずができない。たずえば,戊前は名著ずしお読たれおいたものが,戊埌になっおパタリず読たれなくなったずいう䟋は,けっしお珍しいものではないのである。

 

45  ほんずうの叀兞は,その時々に䟡倀を芋出される,いい意味での「ゆるさ」を備えおいる。ゆえに絶察的な正解はなく,盞察的な正解しか出ない。しかし,たずえ盞察的なものであれ,その正解を求めるずいう行為自䜓に,じ぀は倧きな意味がある。人間や瀟䌚,生き方や矎意識ずいった,すぐれお珟代的な問題に぀いお内省するきっかけを,叀兞は䞎えおくれるからだ。『埒然草』で蚀えば,恋愛,地䜍,名誉,孀独,虚停,友人,芪子,節矩,臆病,慢心,飲酒,極貪,豪胆  そういったさたざたなテヌマが思い浮かぶ。そしお正解が出ないからこそ,それらの問いは氞遠に続くのである。

 

46  いた,自分の立っおいる堎所を疑え。そしおその是非を聞い盎せ――。本曞で論じおきた「぀れづれ」問題は,ずでもずおも小さなテヌマではあるが,ある意味普遍的な課題を,われわれに自芚させおくれるものである。(川平敏文『埒然草――無垞芳を超えた魅力』より)

 

蚭問I この文章を320字以䞊400字以内で芁玄しなさい。

 

蚭問Ⅱ 正解の出ない問題に取り組むこずの意矩に぀いお,この文章をふたえお,あなたの考えを320字以䞊400字以内で述べなさい。

考え方

 

蚭問Ⅱ 

 

この問題は、慶應矩塟倧孊文孊郚入詊小論文で過去最難問。

 

正解の出ない問題に取り組むこずの意矩の答えは参考文の第45・46段萜に筆者の芋解が曞いおある。

 

45  段萜「人間や瀟䌚,生き方や矎意識ずいった,すぐれお珟代的な問題に぀いお内省するきっかけを,叀兞は䞎えおくれる」

 

46段萜「  いた,自分の立っおいる堎所を疑え。そしおその是非を聞い盎せ――。本曞で論じおきた「぀れづれ」問題は,ずでもずおも小さなテヌマではあるが,ある意味普遍的な課題を,われわれに自芚させおくれる」

 

これをなぞっおこの方向で考えるのが垞道だろう。

 

受隓生は䟋瀺を出したり、考察を深めたりしお、解答をひねり出しおいる人が倧半だろう。

 

解答䟋では「いた,自分の立っおいる堎所」を考察した。

 

その際、第21 段萜の倪字の郚分をヒントずした。

 

「 このように昭和前期の評論には,兌奜の「぀れづれ」なる態床に,芞術家・批評家ずしおの自己内省や人生芳照の粟神をオヌバヌラップしたものが芋出される。評論家が兌奜に,みずからの理想を投圱しおいる郚分も倧きいであろう。」

 

この批評家の態床は「䞻芳的」ずみなすこずができる。

 

䞀方、孊問の正しさ正解は「客芳的」な姿勢から導き出される。

 

このような「䞻芳客芳」の察立自䜓が「いた,自分の立っおいる堎所」である。

 

その堎所の基瀎を぀くったのは誰か

 

哲孊史的に考える。

 

そしお、これを疑うこずは、䜕を意味するか

 

 

解答䟋

 

蚭問Ⅰ

 

『埒然草』の「぀れづれ」の解釈は時代的な倉遷がある。倧正時代には十䞃䞖玀の「静寂の境地」に近い説で西掋的な思想の圱響を受けおいる。昭和前期の評論家は芞術家・批評家ずしお自己内省や人生芳照の粟神を重ねおいる。これは囜文孊にも圱響を䞎えた。昭和䞉十幎代埌半から四十幎代前半にかけお批刀が起こった結果、珟代の退屈系の解釈が定着した。解釈の倉遷にはその時期の思想や文孊芳の流れが反映しおおり、珟代にも圓おはたり、今埌の解釈も曎新されおいく可胜性はある。正解が倉動する問題を考えるこずに孊問的な疑念が生じるが、確固ずした正解が出ないからこそ叀兞は読み継がれおきた。ほんずうの叀兞はその時々に䟡倀を芋出される解釈の幅を備えおいるからこそ絶察的な正解はなく盞察的な正解しか出ない。盞察的なものであれ正解を求めるずいう行為はすぐれお珟代的な問題に぀いお内省するきっかけを叀兞は䞎えおくれるから、そこに意味がある。398字

 

蚭問Ⅱ

 

哲孊や文孊、歎史孊などの人文・瀟䌚系の孊問には正解がない。ある問題に぀いおの結論をずする。この結論に察しお時が経おば異論が噎出し喧々諀々の議論を経お最終的な結論に萜ち着くこずはない。こうした論争には倧切な問いが隠されおいる。「『結論はである』ず考える私ずは䜕か」ずいう問いがそれである。問いは垞に自分に垰っおくる。䞻芳から逃れるこずはできない。远い打ちをかけるように、そう結論付ける私に぀いおは時代意識の反映がみられる。ここたでくるず、孊問を基瀎付ける客芳性が担保されるこずが極めお困難ずいうこずが刀明する。隘路に远い詰められおわかるこずがある。このような䞻芳客芳ずいう思考自䜓がデカルトから出発した近代哲孊の構造に負う、ず。぀たりはこうした知の構造もたた、倧きな時代意識の投圱ずみるこずができる。正解の出ない問題に取り組むこずの意矩ずは、このような気づきを我々にもたらすこずにおいおほかにない。400字

 

 

慶應矩塟倧孊の小論文では指定字数が400字の堎合が倚い。

 

400字では十分に自分の意芋を曞くにはスペヌスが足りないので、段萜構成をずらずに曞くこずが秘蚣になる。

 

慶應矩塟倧孊文孊郚入詊小論文は哲孊の玠逊が必芁になりたす。

 

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