・声が聞こえる人の主張
「心臓は守護神と守護霊が動かしている」
・浅井のコメント
守護神、守護霊がひとの心臓を動かしてる?
心臓は、心筋という筋肉でできています。心筋は、心臓のまわりを覆うようにある冠状動脈から酸素や栄養分を受け取り、それを使ってエネルギーを作り出しています。
このあたりからスタート。
なんで?って聞いても答えてくれない涙
結局最後は罵詈雑言。神の声が聞こえる御霊レペルが高い人が言うこと?笑
そして、最後に発狂。
以下コメント欄
・声が聞こえる人の主張
「心臓は守護神と守護霊が動かしている」
・浅井のコメント
守護神、守護霊がひとの心臓を動かしてる?
心臓は、心筋という筋肉でできています。心筋は、心臓のまわりを覆うようにある冠状動脈から酸素や栄養分を受け取り、それを使ってエネルギーを作り出しています。
このあたりからスタート。
なんで?って聞いても答えてくれない涙
結局最後は罵詈雑言。神の声が聞こえる御霊レペルが高い人が言うこと?笑
そして、最後に発狂。
以下コメント欄
とあるスピグループであなたは反対論者?とよく言われるので僕のスタンスをあらためて明確にします。
懐疑的肯定派と言えば良いでしょうか。
・前世、生まれ変わりについて
ほぼすべての前世を語る人は、ヨーロッパのうんちゃら何世とか言う。僕にはその記憶がない。そして、前世が見える人何人かに見てもらってもみんなバラバラなことを言う。きっと、それだけ多くの過去性があると言うのだろうけど。前世がネアンデルタール人という人には会ったことがない。前世はヨーロッパかつホモサピエンス限定なの?と疑問に思う。
人は死んで灰になるとそのカロリーやエネルギーは他に転換される。それを昔の人は輪廻という思想で説明したのだろう。しかしそのエネルギーに情報が乗っているとは到底思わない。インナーなんとか、アカシックなんとか、前世療法はただのまやかし。
来世でも一緒になろう。こういう使い方はいいけど、前世の業を払拭するためにうんちゃらというのは暴論というか、なぜそんな思想に支配されなければいけないのかまったく意味がわからない。
つづく。
とあるスピグループであなたは反対論者?とよく言われるので僕のスタンスをあらためて明確にします。
懐疑的肯定派と言えば良いでしょうか。
・霊、お参りについて
僕は霊を見たことはない。よく感じるものと言うが、そも思うからそう思うだけ。
見えるという人を否定するつもりはない。実態がなくても思い込みでそう見えるのだ。
子供の頃、夜寝るときに天井を見上げて、杉の板の模様が人の顔に見えて怖かった。
とある滝の写真を自殺の名所という触れ込みで見せると、霊が見える。一方でパワースポットという触れ込みだと、見る人は癒やされるという。すべては脳がつくる現象。それを信じる信じないは自由。自己の中で解釈されることであり、その解釈を人に押しつけるものではない。
除霊が必要?ばかいってんじゃない。除霊という宗教的儀式がない民族はどうするんだ?と言いたい。
以前、浅井さんはお墓参りには行くべきだと言われた。なにを言ってるんだ。僕は戦艦赤城で戦死した祖父や59で亡くなった母を片時も忘れることもないし、常に想っている。
墓参りにいかなければ問題だなんてそもそもの本質から外れている。
お参りというのは自分に対して行うことである。以前、神職につかれている方と話した。参拝は神頼みではなく、神の前で決意を新たにすることだと。
宗教は指針であり心のよりどころである。依存するものでもなく、人に対するアドバイスで使うものでもない。