企業には経営目的がある。その企業がなぜ存在しているかの定義と言えばよいでしょうか。

 

人が生きていくうえで力強さを得るには、アイデンティティなのは間違いありません。さしずめ、経営目的はアイデンティティと言えるでしょう。

企業理念、ミッション、ビジョン、そして価値観を表現するバリューなるものをこぞって表明しています。

 

社員のチームワークが悪い、コミュニケーションが図れない、ほうれんそうが滞る、次のリーダーが育たない、などなど企業の悩みは多岐にわたります。そんなとき、悪魔が囁きます。「理念で人をまとめるのですよ」と。そんな本とかコンサルがうじゃうじゃいますね。

 

僕から言わせれば、そんなの嘘っぱちです。はっきり言ってキモイ。理念で人を束ねるというのは、理念がなければ人を束ねられないということです。確かに理念で人を束ねることはできます。そしてうまくいくことも多々あります。

しかしそれは理念による搾取、夢の搾取であることも伝えておきます。理念、ビジョン遂行のために、少々を我慢しろという会社の言い分にしかすぎません。

 

賛否あると思いますが、まさにディズニーがそうですね。夢という縛りで低賃金による労働力を手に入れることを実現させていると僕は思っています。夢に共感していればそれはそれで幸せなことかもしれませんが、そこで長く働く人はどれだけいるのでしょうか。だいたいキラキラした夢を持って入ったけど、現実とのギャップに苛まされてやめるというケースをリアルに聞きます。(あくまでも僕の交際関係の中で聞いた話で全部とは言いません)

 

企業とは安定した生活基盤の提供が第一にあります。十分な報酬を払えない、または払いたくないから別のことで人心を掌握しようとするのはいかがなものかと僕は思います。または、他に魅力を持つことができていない証拠でもあります。

 

僕は過去に勤めていた会社の理念なんて考えたことありません。最近の若手は理念が会社選びに影響を及ぼすと言います。これは紛れもない事実でありますが、続きがあります。判断材料がないから、結局はそこ。それだけの理由です。ですからキラキラ系の理念を作れば採用が楽になるのも事実です。

 

理念とは会社が作りしもの。それを社員に従えと言う。そういう統治でうまくいく会社も当然あるでしょう。でも結局は他人事なんです。自分には関係ない。これが本音です。

 

矛盾しますが、共通目的や共通目標がなければチームにはなりません。ではどうやってその共通目標を作ればいいのか。会社主導ではなく、社員主導のありたい姿を描くことではないでしょうか。高校球児がめざせ甲子園!と誓い合った強さは想像に優しいですね。その時の高校球児は甲子園を押し付けられたのでしょうか。球児自らが望む姿を形にする。今後はそうした企業理念であるべきではないかと思います。

 

ただの雑談。以上

 

浅井隆志