最近では、叱ることができない上司が増えたと良く聞きます。背景として、少し叱っただけでモチベーションが下がる、少し叱っただけで会社を辞めると言い出す社員がいます。そして叱ることでパワハラと言われてしまうという恐怖を抱える管理職がいます。では叱らないほうがいいのかと言われれば、当然人を育てるには必要です。
・叱る必要性はどこにあるのか
あなたも幼少時代、親に叱られたことがあるはずです。親が声をあげて叱る時はいったいどういうときでしたでしょうか。
まずは、命に係わる時です。道路に飛び出す、転ぶと大けがをするような場所で走り回る、などなど。さらに、周りの人に迷惑を掛けるときもお叱りが飛んできます。電車にのって膝立ちで窓を眺めるときに靴を脱ぎなさいとか、飲食店でさわぐなとかです。
同じように部下を叱る時も、命とまわりが基準になります。ビジネスにおいて命とは顧客であり、信用です。まわりとは上司、同僚、部下後輩です。
叱りの第一目的は致命的な問題を未然に防ぐためです。顧客のクレームを引き起こす。取引先の信頼を失墜する。企業としてのあり方が問われるような社会通念上許されない行為など。これらは叱るべきことです。
遅刻をする、約束された納期が守られない、実行すると約束された業務が遂行されないは、叱るに値します。
叱るに値する行動をほっぽらかしにしていると、部下はダメなことをダメという認識を持てません。また、気づくことができません。認識を改めさせる、気づかせるためにもお叱りは必要なのです。
・叱るとパワハラになるのか
お叱りと言うのはそもそも部下の行動を良い方向へ向かわせるためのものです。言い換えてみれば建設的な改善の提案です。行動や思考を改めさせる必要があるのに、感情的に怒鳴ってしまうと萎縮をさせてしまい、このお叱りの効果は期待できません。またお叱りは部下が素直に受け入れられるものでなくてはなりません。
お叱りの効果を無くし、パワハラに該当してしまう要素は、理不尽さと人格に触れるものです。
僕は警察24時なる番組が好きでよく見ています。交通違反で捕まったドライバーが「他にも違反しているやつがいるだろう!」と感情的になるのを見かけます。
他の社員は叱られないのに、自分だけが叱られる。これは不平等感があり理不尽に感じます。自分が悪いことをしたという認識があっても、不平等感があると素直にきけません。
人格に触れるお叱りは、お叱りというよりただの悪口です。遅刻をした人間に「親の顔がみてみたい」「社会人失格」「だらしない」というようなお叱りはマイナス効果です。
正すべきは行動です。遅刻という行動を正すべきなのに人格に触れる必要はまったくありません。行動と人格は別物に扱うのが大切です。
行動に対するお叱りは、その誤った行動から生まれる弊害を付け加えることが重要です。
「遅刻は自分だけの問題ではないんだよ。まわりの士気、業務に悪い影響を与えるよね。おれはちゃんと来てるのにあいつはなにやってんだって思われちゃうし、思わせちゃう。なにより遅刻して自分の心の状態って落ち着かないよね。だから早め早めの行動をして、遅刻しないっていうのはとても大切なんだよ」
このように丁寧に淡々と叱ることが部下に最も響くことは間違いありません。
・最高のお叱り方法
僕も幼少時代親に叱られることが多々ありました。和室で正座をさせられて、よく母に太ももをピシャリとされたものです。当時は「はやくおわらないかなーこのお説教」ぐらいなものでした。
今でも覚えていますが、中学二年生の時に叱られたことは僕に大いなる反省をもたらしました。いつもなら太ももピシャリが来るタイミング。待てども暮らせども母のピシャリは飛んできませんでした。ふと、顔を上げて母を見ると、母が泣いていました。そして「お母さんはかなしい……」この瞬間、僕は怒られた原因の行動を一切しないように深く反省しました。
ドカーンと怒鳴られるよりは、喜怒哀楽の悲しい、悔しいなどの哀を伝えられたほうが相手に響きます。また、悲しさ悔しさなどは、期待が裏切られることによって生まれます。裏切られた期待と哀を伝えることが最も効果的な叱り方です。
「お前バカか?なにやってんの?」より
「君には、○○で精通している部分もあったし、誰より一生懸命さがあったから期待して任せたんだけど、この成果や進め方はとても残念としかいえないよ」
どちらのほうが効果あるのかは一目瞭然です。
叱ることで部下の分別を育てよう
浅井隆志