先輩へ


僕が初めて先輩に出会ってから、21年が経ちました。


中学二年に上がるほんの少し前に、僕は柔道部に入部しました。

中学高校と柔道部が一緒だったため、当時高校二年になる先輩に出会いました。


一番最初に先輩の練習を見たときに、「すげぇこの人、ダントツに強い!」って感じました。

感じたとおり、先輩は団体戦ではポイントゲッターでしたね。


入部して、僕を沢山可愛がってくれました。

僕が泣くほどに、可愛がってくれました。


特に寝技では、僕の顔の上で先輩の100キロを越える全体重を乗せ

ぐるぐると回り、僕が泣いても続けてくれました。


あれで、本当に根性がついたと思います。

先輩のお陰で、僕は痛みに対して耐性が付いたのは事実です。



先輩が高校三年の時、最後の都大会で泣いていたことを今でも覚えています。

あの時、「俺は泣けるほど、打ち込んでないな」って、すごく反省しました。



練習では厳しかったけど、本当に可愛がってくれました。

僕が中学3年に上がるときに、アルバイトを紹介してくれました。


浅草にあるお肉屋さんです。


先輩のお陰で、15歳から世間に出て、働く経験を積めました。

本当に感謝です。


お陰で僕は、高校を卒業するまで、その肉屋でバイトをすることができました。

商売の原点をその頃、学べたように思えます。



そのバイトがキッカケで、先輩は僕と遊ぶようにもなってくれましたね。

部活も一緒、バイト先も一緒、遊ぶときも一緒でした。




荒川の河川敷で、14歳の僕にバイクを教えてくれました。


よく転んで、バイクも僕も傷だらけ。

でも、一度も怒られたことはありません。


年末のバイトが終わると、24時になる前から

一緒に神社に行って、初詣の行列にも並びましたね。



一緒にタバコ吸ったり、お酒飲んだり。



そして、なにより嬉しかったのが

先輩が友達と遊ぶときに、僕を呼んでくれたことです。



一緒にお酒を飲みながら、マージャンをしました。

コタツに入りながら、そして先輩の好きなMISATOを聞きながら。



僕がバイクを好きになったのは、先輩のお陰です。

高校に上がると、すぐに免許を取りました。



そして、先輩はヤマハのRZを僕にプレゼントしてくれました。

当時の僕にとって、もう本当に興奮する出来事でした。



先輩はいつも僕に与えてくれました。


学生時代に、一緒に吉野家に行ったとき

僕に大盛りの牛丼を食べさせてくれました。


自分は、並みとライスの組み合わせ。

僕がいなかったら、大盛りを2杯食べれたのに。



一緒にパチンコにも行きましたね。

僕はなけなしの7,000円をすってしまいました。

そうしたら、先輩も負けたのに、僕に7,000円くれました。


僕は先輩と一緒にいて、財布を開いたことがありません。

なぜ、僕にそこまでしてくれたのですか?



僕がまだ中学のときに、峠に連れて行ってくれました。

山梨の甲武トンネルというところです。



いつか僕も先輩のようになりたい。


その夢も叶い、僕は高校3年間は、その峠で先輩を追うように走り倒しました。

いつしか僕はその峠で最速と呼ばれ、先輩がとても喜んでくれましたね。



一緒にバイクで並んで走ることは無かったけど

僕は先輩の背中をいつも追いかけていたんだと思います。


先輩のバイクの後ろに乗ったときのワクワク感と安心感。

あの感触はいまでもすぐに思い出せます。



そういえば、足立区の綾瀬付近で、思い出があります。

僕が先輩の後ろに乗っているときに、車とぶつかりそうになりましたね。



出会いがしらだったから、どっちが悪いも良いもなかったけど。

そうしたら、車に乗っていた輩がイチャモンつけてきました。


覚えていますか?



僕はその時にやんちゃだったから、バイクから降りて

「ゴラァ」って言ったら、先輩は僕を制しましたね。


「あやまれば済むんだから」って、頭を下げた先輩。

その時は分からなかったけど、本当の男の強さを学びました。



だって、腕力だったら、先輩に掛かったら、そうそう勝てる人間はいません。


それなのに、いつも先輩は謙虚でした。

争いごとを好みませんでした。



柔道部のときは、僕にあだ名をつけてくれました。

「お前は、浅井だから、カメラマンの浅井慎平だな。

で、ちんこがでかいから、”ちんぺい”だ」



僕のことをいつも、ちんぺいちんぺいって呼んで可愛がってくれました。

ちんちゃんとか、ちんとかも呼んでくれました。



お互いに社会に出てから、お酒を飲んだときに

「浅井」って読んでくれましたね。


あれ、嬉しかった。

僕を大人としてみてくれたから。

でも、ちょっと寂しさもありました。



車で暴走しながら、千葉に初日の出を見に行ったこともありますね。

もう本当に街中がサーキットになって、最高にエキサイティングな1日でした。


少し、連絡がとだえた時期もありました。

お互いに忙しくなったんですよね。社会に出て。


先輩の結婚式も呼んでいただきました。

後輩は僕1人でしたね。あの優越感はたまらなかったです。



僕がオフィス家具の営業で、日本橋付近を飛込みしていたとき

偶然に先輩とバッタリ会いました。


あれから、お酒飲みに行きましたね。



僕がマルチ商法をやっても、闇金をやって天狗になっても

「お前は俺の誇りだ」「俺にはないすごいものをもってる」って

諭すわけでもなく、突き放すわけでもなく、いつも僕を受け止めてくれました。



すっごく自慢ばっかりで、自分を大きく見せることしか頭にない僕なのに

先輩はいつも僕を認めてくれました。



先輩は毎年欠かさず年賀状をくれました。

ほとんど僕は返していないのに。


「元気か?たまには飲もう!」

いつもこのセリフでした。



送られてくる年賀状。

年々増える子供の数。

僕は毎年先輩に不義理をしていました。ごめんなさい。



かあちゃんの葬式にも参列してくれました。


仕事が忙しいのに。

すごく家から遠いのに。

でも、先輩が来てくれてなにより嬉しかったです。

こころの支えになりました。



僕の結婚式にも来てくれましたね。

僕が「冠婚葬祭ばかりお呼びしてすみません」って言ったら

「お前は人気者だからな。気にするな」

いつも僕を気遣ってくれました。



いつか僕は先輩に言ったと思います。

青春時代を共にしてくれた、僕のアニキだと。



僕は肉親以上に愛しています。

尊敬もしています。


いつも謙虚で、一生懸命の先輩。



そういえば、最後に話したのいつでしたっけ?

3月11日の震災から3日後くらいだったと思います。


千葉に住んでいる先輩のことが気になって、僕は電話しました。

「お水とか食料とか大丈夫ですか?」

先輩は「ありがとう。気に掛けてくれて本当にありがとう」


ずっと僕にありがとうって言ってくれました。



僕がいまあるのは、先輩のお陰です。

悪い遊びも、よい事も、教えてくれました。



出版して、先輩に本を贈ったら

誰よりも喜んでくれました。


昔から先輩は、僕のことを「俺の誇りだ」って

友達に紹介してくれましたね。



違いますよ。先輩。

先輩は僕の憧れで、誇りなんです。




ずっとずっと、いただいた恩を返そうと思っていました。


最近、ようやく胸張れる仕事してますよ、って

でかい仕事取りましたよ、って

誰かに与えられることが増えましたよ、って


どれもこれも先輩のお陰です、って

お礼を言いたかったんです。




そうしたら、今日、先輩から電話をいただきました。




















「主人が亡くなりました」









正確にいうと、先輩の名前が出た着信でした。

奥さんからの連絡でした。



ちょうど僕のお中元が届き、それで連絡をくれたのだと思います。







突然死。






僕には信じられません。




まだ、僕は先輩にこの姿を見せていません。

少しは立派になったでしょ、って言えていません。

独立して頑張ってます、って報告できていません。



先輩にまた、誉めてもらいたかった、認めてもらいたかった。



そして、

ありがとうございますを言いたかった。




悔しくて、悲しくて、寂しくて、僕は涙が止まりません。

もう先輩はいません。

これは、僕に最後の授業ですか?



人は死から学ぶっていうけど、

今は何も考えられません。








今ハッキリしていることは、ひとつだけあります。

会いたいと思ったときに、会いに行けばよかった。




浅井 隆志