素朴な疑問でもあり、永遠の疑問。
「なぜ、僕はいきているのだろうか?」
人間いつかは死んでしまう。それなら生きる意味はあるのだろうか?いつ頃からか分からないけど、ふと考えたり忘れたりする。永遠の謎だ。
仕事頑張って、一杯稼いで、美味しいものを食べて、好きなものを買って。好きな場所に行って、楽しんだり、感動したり。ときには、人を傷つけてしまうけど、傷つけられたりもして。愛して愛されて、僕はなんのために生きているんだろう。どこに向かって生きているのかな。
なぜ、生きるのか?
人間がこの地球に生まれた理由もわからない。元素だとか、遺伝子だとか、進化の結果だとか、理屈はいろいろあるのだろうけど、なんだか釈然としない。
全ての意味は後付けで、本当は意味がないのかもしれない。
ふと考えてみると、どんな人間にも平等にめぐってくることがある。それは死ぬこと。ともすれば、死ぬために、生きているのかなぁ。確かに死ぬためには、生まれなければ死はやってこない。そう考えると、死ぬために生きているという、ちょっと暴論も受け入れられるかもしれない。
ただ、死ぬためなら生まれなければいい。何か意味を成して、死ぬことに意味があるのかもしれない。その意味は何か?たぶん、永遠に答えは出ないんだろうな。その答えをみんな求めるから、宗教があったり哲学があるのかもしれない。
少し深堀して考えてみよう。
生きている状態と死んでいる状態。その違いはなんだろう?違いがあるとしたら、少なからず生まれた状態よりも、死んでいる状態のほうが、成長を遂げている。肉体的にも精神的にも。魂があるのなら、魂レベルの成長?があるのかもしれない。
そうやって考えてみると、成長することが生きる意味なのかもしれないな。だから、僕は成長することに喜びを感じているのかもしれない。人の成長に手を貸すことを喜びとしているのかもしれない。
もし、成長することが本能的にあるのなら、なんだか納得する。
よくわからないけど、死ぬときに後悔しないように、充実した人生を過ごすために、成長し続けよう。
今の段階での僕の答え。
「生きるということは、成長することである」
今日の最善は、明日の最善ではない。明日は今日と同じ事をしてはならない。1mmでも前に進めるように、今この瞬間を僕は生きる。