人間を研究する学問には、三つの領域がある。


まず第一に、通常の知識を得るための学問があり、

第二に、一般にエクスタシーと呼ばれる心の状態にかんする学問がある。

第三に、真の実在にかんする学問があり、これこそが最も重要で、他の二つの学問を超越している。


心の内面に対する正しい理解がなければ、真の実在[神のこと]について知ることはできない。知識やエクスタシーは、それぞれの領域における真の実在の反映であり、第三の学問が伴わなければ、他の二つの学問はほとんど用をなさない。


御者を思い描け。

彼は馬車に乗り、馬を操っている。馬車は知性を表しており、そのおかげで人間はいま自分がどこにいて、何を為すべきかを知ることができる。

馬車は人と馬が一体となって働くことを可能にしている。このことをわれわれは、外的な形とか、組織化と呼んでいる。

馬は馬車を走らせるのに必要な動力であり、感情や情熱と呼ばれる心のエネルギーである。


御者は他の二つよりも優れた方法で、馬車の存在理由や可能性に気づくことができる。御者がいなければ、馬車を正しく動かすことも、目的地に到達することも不可能である。



これらの三つの機能は単独でも、それぞれの働きを十分に果たすことができる。しかし、それらが正しい方法で結びつかないかぎり、馬車としての働きが生じることはない。


人間だけが、つまり真の自己だけが、この三つの機能の関連と、それらがお互いに必要としているものを知っている。

この三つの機能を結びつけることは、「偉大な作業」と呼ばれており、御者がたくさんいたり、馬がよくなかったり、あるいは馬車が軽すぎたり、重すぎたりするなら、成果は期待できない。



★浅井ノート

知識は知識にとどめておくと、無用の長物だ。

知識は体験を通して、知恵となる。

良質な知識と、教訓のある体験を通して

質の高い知恵となる。


そして、自分自身のクオリティが乗数のごとく掛け目となる。


どんな貴重な情報でも、感慨深い体験でも

自分の在り方が重要だと気づくね。