アフガニスタンの東方に、盲人だけの住む街があった。

ある日、王に率いられた軍隊がやってきて、郊外の砂漠に露営した。王は一頭の大きな象を連れてきていたが、それは戦闘のためだけでなく、人々に自分に対して畏怖の念を抱かせるためでもあった。


やがて象の噂で騒然となった盲人たちの街から、真相を知ろうとして、何人かの者が狂ったように駆けつけてきた。

彼らは象というものをまったく知らなかったので、各自が手探りで象の体に触れ、お互いの体験を話し合った。そして、誰もが少なくともその一部には触れていたので、自分こそが真実を知っていると思い込んだ。


彼らが同胞のもとへ帰るとすぐに、間違った道を歩んでいる者から真実を学ぼうとする誤った情熱に駆られた大勢の人々が集まってきて、口々に象についてたずね、一言たりとも聞き逃すまいとした。


耳に触った者はこう答えた。

「大きな、ざらざらした、平べったい生きもので、まるで絨毯のようだった」

「いや、そうではない」と鼻に触った者が反論した。「管のような体をした、獰猛で危険なやつだ」

足に触った者はこう言った。「丸くて、太くて、がっしりした、柱のような生きものだ」



全員が象の体の一部にしか触れていなかったので、その理解は不正確であり、すべてを知る者はひとりもいなかった。

真の知識は盲人には無縁である。

すべての者が何かを思い描いてはいたが、それは事実に反するものであった。


被造物は神の本質を知ることができないし、通常の知性に基づく学問にそれを知る道はない。



★ ”何を”学ぶかより、”誰”から学ぶか。

これがもっとも大事なのかもしれませんね。