オリジナリティとはなんだろう。通勤ラッシュの中央線に揺られながら思考を巡らせてみた。そもそも、オリジナリティはオリジン(根源)の派生語。オリジンという言葉から見てみると、面白いことを発見した。

今まで僕の常識では、「オリジナリティ」=「人と違う」。自分ならではの考えや行動、アイデアがオリジナリティだと思っていた。多くの人も、そのように思っているのかもしれない。いや違うよ、とつっこみを入れる人もいるかもしれない。でも、他人の見解は僕にはどうでもよいことになった。今までは他人の見解に少なからず影響を受けていたのに。

僕の面白い発見。オリジナリティは”そもそもの在るべき姿”と結論付けた。あくまでも34歳の今の時点での結論。この結論を墓場まで持っていくつもりはない。


オリジナティは、何かしらを表現したのなら、その時点でオリジナルではないのだろうか。それは例え他人と同じものだとしてもだ。他人と違う、希少性があるだけで、オリジナルと定義するには違和感がある。なぜなら、自分というフィルターを通して存在させたときにオリジナルであるからだ。

自分という根源から存在させたもの。それは疑いようのないオリジナルだ。模倣だろうが、パクリだろうが、自分のフィルターを通せばオリジナル。表現すればオリジナリティ。


大切なことがわかってきた。人と違うことをしなくてもよい。他にないものを探さなくても良い。競合や類似との差異を見出さなくてもよい。大切なのはオリジナルであること。自分であること。オリジナルはどう転んでもオリジナル。どこまでいってもオリジナル。これは変えようがない。

そもそもの在るべき姿。これは在り方のゴール。魅力的でかつ影響力のあるオリジナリティにするには、在り方の質をあげるほかにない。これが僕の答え。これを期に、一日でも在るべき姿へ自分を磨き続けようと思う。そして、オリジナリティには表現力も不可欠だ。在り方と伝える力。学びはまだまだ続く。だから人生面白い。


三日月に見えていても、月は球体だ。明るいところばかりを見ていると、中心をはずしたり、芯を見逃す。

本質を見極めなきゃな。




たまには違う文体と文調で 笑