9月は「中秋の名月」の季節なので、
小倉百人一首から、月を詠むものとして
素性法師(そせいほうし)の
「今来むと・・・」(21番)を挙げたが
もう一首(23番)
大江千里(おおえのちさと)
「月みれば
ちぢにものこそ かなしけれ
わが身一つの 秋にはあらねど」
秋の月を眺めていると、
様々なことが思い起こされ
もの悲しい思いが致します
秋はわたし一人だけにやって
来たのではないのですが・・・
ちなみに、面白いことに、
全く関係ないとは思うが、
現代にも同じ名前の歌人がいて、
大江千里を(おおえせんり)と
読んでしまうと、シンガー
ソングライターになってしまう。
大江 千里(おおえ の ちさと)は、
平安前期で、官位は正五位下だが、
学者(文章博士)で、すぐれた
漢詩人でもあったらしい。
そのことを知って、
この和歌をみてみると
月を見て、もの悲しいと思うところは
まるで漢詩を読んでるみたい。
当時は、漢詩の知識のあることが
貴族として当然とされていたので
和歌の中に、漢詩の詩情を入れ込む
ことで、自分の文章博士としての
アイデンティティだったのかも
それに、もの悲しい月を
「ちぢに」(千々に)としたうえ
「ものこそ」とさらに強調したうえ、
それと、わが身「一つの」と対比させ
ているところが、技巧的だな・・・
とはいえ、詩としてみると
もの悲しいという思いを
「ものこそ 悲しけれ」と直接に
感情を表現してしまうのは、
学者ならではかもしれない。
素性法師(そせいほうし)の
「今来むと・・・」(21番)も
大江 千里(おおえ の ちさと(23番)も
古今和歌集に採られているらしくて
当時は、こういう技巧的な和歌が
もてはやされたのだろう。
ところで、歴史好きなかたは
大江氏と聞くと、鎌倉時代の
「大江広元」が思い浮かぶと思うが
この大江千里の兄弟が、後の
大江広元の先祖にあたる。
そして、大江広元は、戦国時代の
毛利元就のご先祖にあたるので、
毛利家というのは、長い歴史をもった
家なんだな。
今日は余り人に見せたことのない茶杓
中村宗哲の片車輪蒔絵