唐物茶入を調べるうちに、

利休所持の茶入も気になったので、

調べてみると、利休物相という茶入

には驚かされた。

まず、何と読んでいいか分からない。

「ぶっそう」だと、物騒な感じで、

茶入の名前にふさわしくない。

 

この銘は、飯の量を計って盛る器の

ことらしくて、「もつそう」と読む。

 

普通、茶入の銘などは、

伝来などによって、後日ついてくる

ことが多いが、この茶入の銘は、

利休が名づけたと書かれているもの

もあったので、本当?・・・って

思っていた。

 

利休が開いた茶会の茶会記などに

「茶入 もつそう」という記載

があることが分かった。

したがって、当時から

「物相もつそう」と呼ばれていたことは

間違いないようだ。

 

考えてみれば、

茶会記で参加者が品物を記すときは、

特に亭主から銘を言われない限り、

外見のみの記載になるので、

「もつそう」という銘は利休から

出ないとそういう表記にならない。

 

ただ、利休が入手した時から、

すでに「もつそう」と呼ばれていた

可能性はあるが、当時から

「物相もつそう」と

呼ばれていたことは間違いない。

 

そのため利休が所持していた

ことから現在では「利休物相」

と呼ばれている。

 

この茶入は、利休から徳川将軍家の

所持となり、それを伊達政宗

家光から拝領した。

 

伊達家では、そういう伝来から

家宝扱いだったと思われるので

それに添えられた箱、曳家、仕覆

など大変なものになっている。

写真は「別冊淡交 茶入」より