静嘉堂文庫美術館の名品といえば、

大名物 漢作唐物 茄子茶入の

付藻つくも茄子」と「松本茄子

 

このうち「松本茄子」は、

松本某が所持していたことから、

名前がとられているが、

これも織田信長、豊臣秀吉と伝わり、

1615年大阪城落城後に掘り出され、

徳川家康の命で、藤重藤元父子が

破片を「漆」で継ぎ合わせて修復を行った。

家康は修復の出来映えの褒美として、

藤元に九十九髪茄子を与え、藤重家に伝来した。

その後、

1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られ

今は静嘉堂文庫美術館が所蔵する。

 

このように一般には言われているが、

信長所持の茶道具は功績のあった家臣などに

下賜されていて(「茶の湯御政道」といわれる)

 

「松本茄子」が信長から下賜されたのは

曲直瀬(まなせ)道三とされている。

 

曲直瀬道三って?

余り知られていないかもしれないが、

戦国時代の名医として有名な人物

 

正親天皇、足利将軍家、細川春元、

三好長慶、毛利元就、毛利輝元など

ときの権力者の侍医となっていて

 

信長も曲直瀬道三から診察を受け、

東大寺の天皇家が管理していた

名香として著名な蘭奢待を下賜されている。

 

曲直瀬道三は当代一流の文化人で、

お茶の嗜みが深かったとされ、それで

信長から松本茄子を下賜されたらしい。

 

それが、どういう経緯かは分からないが、

松本茄子は、豊臣家の所持するところとなり、

大阪城落城という事態となった。

 

ということからすると、

一般に言われている織田信長、豊臣秀吉と

伝わったというのは、ちょっと話が

省略されているように思われ、

むしろ秀頼のころになって、豊臣家に

献上されていたのではないかと推測する。

 

今日は「天下の三茄子」の一つとされる

富士茄子

(写真は、東京国立博物館の「茶の湯展」

図録(2017)より借用)