静嘉堂文庫美術館の名品といえば、

大名物 漢作唐物 茄子茶入の

付藻つくも茄子」と「松本茄子

 

つくも茄子は、九十九髪茄子(つくもかみなす)

とも呼ばれるが、

「九十九髪」は老女の白髪を意味する。

呼び名の理由に定説はない。

この茶入れを村田珠光が九十九貫で購入したこと

から、この名が付いたという伝承があるらしいが、

これは、どうも作り話のように思われる。

 

伝来をいえば、

当初は足利三代将軍の足利義満が所有

足利義政により山名氏、朝倉氏に渡り、

1558年に松永久秀が一千貫で、入手。

久秀が足利義昭を奉じて上洛した織田信長

献上して、服従したことは有名。

 

本能寺で信長が討たれると、焼け跡から拾い出された

豊臣秀吉に献上されたが、有馬氏に与えられ、

その後大坂城に戻されるが、1615年大坂城落城の際に

再度罹災する。

 

徳川家康の命により藤重藤元父子が

破片を「漆」で継ぎ合わせて修復を行った。

家康は修復の出来映えの褒美として、

藤元に九十九髪茄子を与え、藤重家に伝来した。

 

修復が「漆」であることは、CTスキャン

などでも確認されているよう・・・

 

家康という人は、どうも不思議な人で

世に二つとない、これだけの名品をみても、

その修復をなした陶芸家にいくらか払う

のではなく、その唐物茶入を

褒美として渡して平気なのである。

 

徳川美術館などには、東山御物の唐物茶入

もあるので、全くお茶を嗜まないという

わけでもなさそうなんだけど・・・

 

本当、信長、秀吉と違い、名品の蒐集に

さして興味がなさそうなんだな。

物にこだわらないというか、

どこまでお茶道具が好きだったのか。

 

その後、

1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られた。

数奇な運命をたどったものである。

 

松永久秀が一千貫で、入手したとされることから

この金額を現在の金銭価値に引き直したところ、

7800万円という計算もあるが、

 

1876年(明治9年)に岩崎弥之助が買い取った

価格は知らないが、弥之助が年末の賞与を前借して

買ったという話もあり、その当時でも、数千万円は

下らなかっただろうな。

 

この金額が高いとみるか、安いとみるかだけど、

本当にこれが現在のオークションに出たら

数億円になるのは間違いないように思う。

 

最近のオークションは名品となると、

目が飛び出る価格になるのは、よく聞く話で、

これだけの伝承のある名品が1億以下は

ないだろうな。

 

今日は静嘉堂文庫美術館の松本茄子

(写真は、静嘉堂文庫美術館

図録「響きあう名宝」より )