前回の大河ドラマ「光る君へ」は、

放たれた矢」という題だったが、当時は

関白藤原道隆が亡くなり、その弟の道兼が

関白となるが、その後すぐに亡くなってしまい、

七日関白といわれた。

 

そのために朝廷権力の空白が生じ、

周囲の公家たちが、

関白藤原道隆の子伊周(これちか)

(当時内大臣)につくか、それとも

まだ権大納言にすぎなかったが年長で

経験のある道長につくかで様子見する様が

描かれていて、本当に面白い。

 

そのなかで前回は、藤原公任が、

斉信(ただのぶ)らと将来の出世について

話をしながら、「俺は出世など、もういい」

というシーンがあった。

 

藤原公任という人は、藤原北家の名門である

もとは「氏の長者」であった小野宮流の出で、

祖父と父が太政大臣 実頼、頼忠

姉が円融天皇の皇后という輝かしい人脈

に生まれ育ち、

 

和歌も漢詩も当代一流の教養人であり

道長などとも親しい間柄にあった。

 

小倉百人一首55番にも「大納言公任」の名で、

和歌が採られていて、

滝の音はたえて

久しくなりぬれど

名こそ流れて なほ聞こえけれ

 

滝の水音は聞こえなくなってから

長い月日が経ってしまったけれども、

その名声は今でも流れて聞こえてくるよ

 

この和歌は、嵯峨天皇の離宮であった

大覚寺に道長ら公卿らと一緒に出掛けた

ときに詠まれたものとされている。

 

とはいえ、

一条天皇の即位によって、兼家が摂政、

道隆が関白となると、藤原氏の権勢が兼家の

九条家に移ってしまい、

 

実際公任は、出世が遅れしまい、

長らく蔵人頭(四位)に留め置かれ、

なかなか参議になれなかった。

 

その結果、

兼家の弟の子である斉信(ただのぶ)にまで

出世が遅れしまい、それに腹をたてて、

道長に辞表を出して

朝廷への出仕を拒むなどしたので、

道長からなだめられている。

 

まあ、名門のボンが、ポッと出の九条家の

一族にすぎない若造に出世を出し抜かれたら、

まあ腹を立てるのはもっともなことで・・・・

 

公任が出世を諦めたのは、本当は

道長の世になって、頼道などの後継者が

出てきてからで、このころは出世の意欲

満々だったはずで、このシナリオは

ちょっと先走ったかな。

 

大覚寺の本堂の裏の有名な回廊で、

こういうところを歩くと、公卿などが

遊興に歩いている様が見えるよう