NHK大河ドラマ「光る君へ」を見てると

どうしても、源氏物語のなかのエピソードと

重ねあわせてしまう。

 

滋賀の石山寺は浄土宗のお寺だが、

そこには紫式部の姿の人形が置かれていて

式部が石山寺に参ったときに、

そこで月をみて、源氏物語を構想したと

されている。

 

その話が本当かどうかは、分からないが

朧月夜」の場面では、月が印象的に

描かれているので、そういうことも

なかったとはいえないかもしれない。

 

大河ドラマでは、紫式部が、さわという

ご親族の女性と石山寺に参詣した際に、

大納言道綱の母と出会い、感激して

「蜻蛉日記を幼い時から何度も読みました」

という。

 

その夜に、その子の道綱(後の大納言)が

紫式部に夜這いして、人違いしてさわに

せまってしまい、慌てて名前も言い間違える

という事件があり、

このシーンは、

空蝉と軒端荻」の話を彷彿とさせるが、

源氏と違って、道綱はさわと関係を

持たないまま帰ってしまう。

 

それに、さわが、感情を害して

紫式部と口も利かなくなり、

その後、文も返事をしなくなる。

 

前回、さわの父が地方の受領として、

地方に行くことになったといって

にこやかに、式部のところに

挨拶にやってくる。

 

ここまでくると、

紫式部の百人一首(57)の

和歌が頭に浮かぶ。

 

めぐりあひて 見しやそれとも

わかぬ間に 雲がくれにし 

夜半の月かな

 

 

久しぶりに、めぐり合ったというのに

見わけもつかないうちに

雲隠れした夜中の月のように

姿を隠してしまった

くらいの意味

友人との再会を詠んだ歌とされている。 

 

ここに、さわを重ねるのかな・・

ここでも石山寺の月を思い起こす

また、ふふふと笑いたくなる。

 

紫式部という人物が、

こういう日常生活からヒントを得て、

いたのかなと、思わせるシナリオで。

 

今日は、楽茶碗でお茶をいただいた。

十一代 慶入 黒茶碗 銘【月映】

円能斎箱書