昨日は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」から

源氏物語の光源氏のモデルの一人とされている

源融(みなもとの とおる)の和歌を

取り上げ、伊勢物語にたどり着いたが、

 

ここで面白いので、

在原業平源融との関係を書いてみよう。

 

在原業平という人、

桓武天皇の皇子である平成天皇(51代)の

孫にあたる方で、もとは高貴なお生れだけど、

父親の願い出により臣籍降下され、

六歌仙の一人とされるように

和歌の世界で名をなした方なんだけど・・・

 

昔から美男の代名詞となったような人で

高貴な女性と逃避行しようとして、

捕まったり、不義密通により子を設けた?

との話もあるなど、官職には余り恵まれず

出世とは程遠かったようで、

伊勢物語の東下りも史実かどうか

よくわからない人物

 

この人は六歌仙の一人で、百人一首17番

ちはやぶる 神代も聞かず、竜田川

からくれなゐに 水くくるとは

という有名な和歌を残している。

 

これに対し、源融(みなもとのとおる)は、

桓武天皇の皇子であり、平成天皇の後に

践祚された嵯峨天皇(52代)の子で、

同じく臣籍降下したが、藤原氏の対立の

間をぬって、左大臣まで出世した人

 

百人一首14番には「河原左大臣」として、

陸奥(みちのく)の 

しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに

乱れそめにし われならなくに

という和歌を残している。

 

同じく臣籍降下した在原業平とは、

叔父甥の関係にある。

 

それなので、

伊勢物語に書かれているように

男(在原業平)が、源融の和歌を

本歌取りして

春日野の 若紫のすりごろも

しのぶの乱れ かぎり知られず

 春日野には、若草が充ち満ちて、

 摺り衣ようのように乱れ、私の心も

 限りなく乱れています・・・

 

この忍ぶ恋の歌を、若い男が詠ったのは

この二人の人間関係からすると、

ごもっとも・・・ということになる。

 

ということで、

二人は同じ桓武天皇の流れであるが、

天皇の一族が臣籍降下したということでは

共通していて、

天皇の子で、左大臣まで出世したところは

源融が光源氏のモデルに近いが

 

臣籍降下した皇族のなかで、

昔から美男で知られ、女性関係が

いろいろあったところをみると

在原業平が光源氏に近い。

 

とすると、光源氏は、

在原業平と源融とをブレンドした

イメージかな。

今日は、雅な気分で、

清閑寺窯 杉田祥平

【色絵 仁清 波に扇面画】

 

ここでも「仁清」とあるが、仁清が

こんな茶碗を造ってはいないので、本歌取り

というかどうかは分からないが、

一種のオマージュくらいの感じ