4月の棚といえば、何と言っても

吉野棚で、お茶の世界でも、

最も風流なものといっていい。

裏千家13代円能斎のお好みで、

桐材の春慶塗の一重棚

炉にも風炉にも使えるとされている。

 

勝手付きには、障子の窓と

葭戸(よしど)をはめることができ、

風炉の時期は、葭戸が

炉の時期は、障子がはめられ、

4月は炉なので、障子が用いられる。

勝手付きの柱には竹釘があり、

茶入の仕覆は、打ち返さずに

竹釘に掛けられる。

この棚は、鷹ヶ峰

常照寺(じょうしょうじ)にあった

二代目吉野太夫ゆかりの

茶席「遺芳庵」(いほうあん)を、

高台寺に移築した際に行われた

献茶式を記念して好まれた。

 

茶席「遺芳庵」には、

吉野太夫が好んだ「吉野窓」と

呼ばれる壁一面の大丸窓があり、

「吉野窓」は窓の下部が切れて

直線となっていることから、

吉野棚の丸窓も下部が切れている。

 

仏教では完全な円は完成した

「悟り」の姿を示すといわれているが、

窓の下部が切れて直線となっている

ことで、完全ではない自分の姿を映し、

自らを戒めていたらしい。

 

常照寺は、

「天下随一の太夫」と謳われた

二代目吉野太夫が、朱塗りの三門を

寄進したことから、吉野の寺ともいわれる。

 

なぜ吉野大夫が、常照寺に三門を

寄進したかといえば、

京都の北、鷹ヶ峰というところは、

江戸時代初めに、本阿弥光悦

徳川家康から土地を拝領して

移り住んだところで、

吉野太夫は、光悦の甥で豪商だった

人の妻となったから。

(写真は、「裏千家茶道点前教則5 

棚 風炉」(淡交社)より)