2月は「立春」の時期で、正に

大寒から春に変わる季節の分かれ目

真冬から春の訪れを感じる季節

 

真冬から春かけての移り変わりを

いう季語がある。

雪間、雪間草(ゆきまのくさ)、

萌春、下萌(したもえ)

此の花、早蕨、若草

鶯、鶯の声、鶯笛(おうてき)、初音

春告鳥(はるつげどり)、

老鷺(ろうおう)、

鷺宿梅(ろうしゅくばい)

 

このうち「雪間、雪間草」は、

藤原家隆の和歌が元になっている。

花をのみ 待つらん人に 山里の 

雪間の草の 春を見せばや

 

春の桜の花が咲くのだけを楽しみに

待っている人に、山里に積った雪の間に

わずかに芽吹いた若草を見せたいものだ

 

桜だけが春の証ではなく、

雪間の若草にも春が見て取れる

という感性が大事という訳

これは千利休が愛唱したとされる

もので、侘び茶を表すもの。

 

それまでの和歌の世界では

春が満開に咲き誇ることだけが風情と

されてきたことへのアンチテーゼ。

 

ところで、藤原家隆という名前は

余り聞き覚えがないかもしれないが、

新古今和歌集の撰者の一人で、

当時は、小倉百人一首の定家

並び称された歌人

 

承久の乱をおこした後鳥羽上皇に

歌の指南をしていたらしい。

小倉百人一首にも、98番に選ばれ

「従二位家隆」とされている。

 

このことは、「雲間の月」という季語と

相通じるもので、これは村田珠光の

月も雲間のなきは いやにて候(そうろう)」

 

村田珠光は、侘茶の祖とされ、

あの一休禅師に参禅したとされ、

室町期の人だが、

この「雲間の月」という発想は、

それ以前にもみられる。

 

鎌倉時代の終わりに

吉田兼好の随筆「徒然草」にも、

「花は盛りに、月は隈なきものを

見るものかは・・

村雲がくれのほど、またなく哀れなり」

とされていて、ここにも「雲間の月」を

愛おしむもので、

隠遁者らしく「つれづれなるままに」

書いている。

 

十六代永楽善五郎(即全) 【雪松絵】