初釜では、懐石をいただくが、

最初に、飯椀、汁椀、向付が

折敷(おしき)に三角の形において

(この置き方を「三光」という)

亭主が持ち出す。

客は、これを受け取って、

箸を取り上げ食べ始めるのだが、

そのときもお作法が色々あって、

 

折敷は、本来は縁内に置くべきだが、

四畳半や小間では、縁内に置く

スペースがないので、畳の縁に

半がかりになってしまう。

これは少し落ち着きが悪いが、仕方がない。

 

折敷が配られると、亭主から

「どうぞお箸のお取り上げを」

と挨拶があり、茶道口の襖を閉める。

 

それを受け、正客から

「それでは頂きましょう」

そして連客も

「御相伴いたします」

と挨拶して、ようやく食べ始められる。

そして食べる順序も決まりがあって

飯椀、汁椀の順に手を付けて、

これを交互にいただく。

何とも儀式そのもの・・・

そういう儀式に身を置いていると

少しだけ教養人の仲間入りができた

ようで心地よい。

 

飯椀には、三口で食べられる程度の

ご飯が舟形に盛って出される。

 

この飯の形を「一文字飯

一杓子飯」というが、これは

炊き立ての飯に最初に杓子を入れた

ことを示すもので、亭主の

おもてなしの気持ちがこもっている。

 

今回、懐石の前に飯椀の盛り方にいて

話をしていたら、ご飯を型枠に入れて

「菊の形」に盛りつけられていたので、

大笑いした。

 

それにお箸だけど、

懐石の折敷の右側の縁に掛けられて

出されるが、

初めて懐石を頂いたときに、

箸が濡れているのには、少々驚いた。

 

これは最初に飯椀から手を

付けるからなのかもしれない。

箸が濡れていないと、汁椀から

頂きたくなるのは、至極もっとも。

こういうところも、配慮されている

といっていいかも。

 

向付(むこうづけ)には、お刺身などの

「なます」が入っていて、

どうみても「ご飯のおかず」に

見えてしまうが、

これは酒の「肴(さかな)」なので、

お酒が出るまでは、手を付けては

いけないものなのだ。

 

私も初めて懐石をいただいたとき

ご飯のおかずと勘違いして、

ご飯と一緒に食べ始めてしまい、

後で、亭主がお酒をもってこられた

ときには、向付は空になっていて

大失敗した。

 

今回も、若いお弟子さんは、

最初に飯椀に手を付けず、

汁椀、向付の順に手を付けてしまい、

最後に飯椀に手を付けていた。

これは現代の食生活がそうなので、

仕方がないかな・・・

 

(写真は「実用茶懐石の頂き方と作法」

(淡交社編集局編)