細川さんと話をしていて感じるのは

テレビで見ているのと全く変わらず、

穏やかな語り口で、一切力みなどがなくて、

高貴な方というのは、こういうものかと思ってしまう。

 

それにしても、細川さんのご親族がすごい。

 

細川さんの母親は、

公爵近衛文麿の次女・温子さんで、

細川さんは、細川家の当主でありながら、

あの近衛文麿の孫に当たっている。

 

そのため兄の護熙さんが細川家を継ぎ、

忠煇さんが、

近衛家を相続することになって、

宮中の歌会始などでは、和歌の読み上げなどは

忠煇さんがなさっている。

 

近衛家の蔵には、平安以来の名品があり、

あの藤原道長の日記である

国宝「御堂関白記」も保管されていて、

いつだったか、テレビで忠煇さんが

蔵を案内されて、これを見せていた。

 

平安時代の国宝級のものがある家って・・・

そら恐ろしい。

 

それにお茶の世界とのかかわりだが、

表千家家元の十四世千宗左而妙斎

の奥様は、護熙さんの異母兄弟である。

 

ご先祖はどうかといえば、

武家であり孝行ながら古今伝授で有名な

細川藤孝(フジタカ)幽斎(ユウサイ)

 

その子の

細川忠興、三斎(サンサイ)は

関ヶ原の戦いなどで活躍した戦国大名で、

千利休の高弟で、利休七哲の一人

 

文武両道というのは、こういう人のことか。

 

細川忠興の妻は、あの細川ガラシャで、

本能寺の変を起こした明智光秀の子であり、

関ヶ原の乱では、

石田三成率いる西軍の人質となることを

拒んで自ら命を絶ったことで有名。

 

細川ガラシャの手紙は、誠に美しい筆の

かな文字で書かれており、公家と比べても、

ひけを取らない教養の高さが感じられる。

 

この辺りは、別の機会に書くことにしたい。

 

永青文庫の名品として名高い

黄天目茶碗 珠光天目

(写真は「永青文庫茶道名品展」より)