今日は、4月のお茶のお稽古に

備えて、茶道具のうちの茶器(棗)

 

4月の茶器(棗)には、香合と同様

桜の季節ということで、

時代嵯峨棗、夜桜棗、桜川棗、柳桜棗

雲錦棗

 

この中で気になるのは、

時代嵯峨棗

 

私も、結構茶道具は見てきたが

嵯峨棗って何?これって、きっと

嵯峨という限り、桜が紅葉が

描かれたものかと思うけど、

余り聞いたことがないので、

ネットで調べたら、

 

「棗型茶入れの一種。

黒漆塗りに、枝垂桜(しだれざくら)、

藤、柳、市松などの文様を

単純な金平蒔絵で描いたもの。

 

室町時代末期頃に始まり、

江戸時代初期にかけて、

京都嵯峨嵐山で土産物として

売られたという。」ということで、

模様を平蒔絵で描いた棗と判明

 

それで、「時代」のついたもの

という限定がつけられたということ

 

嵯峨野というと、京都の

嵯峨野トロッコ列車が思い浮かぶ。

(写真は、嵯峨野観光鉄道HPより)

 

嵯峨野観光鉄道は、嵐山駅近くの

トロッコ嵯峨駅から亀岡駅まで

7.3キロ、25分の運航で、

保津川沿いの渓谷を通り、四季折々の

風景が楽しめる緩行線。

 

とくに紅葉と桜の季節は、

土日は、トロッコ嵯峨駅では

行列ができている。

 

何しろ、あのクラシックな車両は

惹かれるものがあるが、

いつも時間に追われてばかりの

私は乗れたことがない憧れの

列車である。

 

嵯峨野について、歴史を少しだけ

書いておくと、嵯峨野は洛北にあり

嵯峨天皇が愛したことで知られている。

 

この方は、

平安京を造った桓武天皇の皇子で、

大変聡明な方で、809年に即位し、

40年にわたる治世のなかで、宮廷文化の

栄えた時代を作ったとされている。

 

嵯峨天皇は、現在の大覚寺辺りの

離宮に御所を造り、中国の宮廷にならい

あの有名な大沢池を人工的に造った

ことで知られている。

 

華道の世界では、華道嵯峨御流

という流派もあるし、

空海に東寺を賜り、最澄には

悲願であった大乗戒壇の設立を

認めるなどしている。

 

源氏物語の光源氏のモデルの

一人とされている

源 融(みなもと の とおる)は

嵯峨天皇の皇子で、

天皇が多くの妃に生まれた皇子を

財政ひっ迫のため臣籍降下させた

うちの一人で、のちに左大臣として

有力な宮廷官僚となったことで

知られる。

 

源 融の嵯峨にあった別邸が、現在の

「嵯峨釈迦堂」清凉寺である。

ここの山門は立派で、本堂のご本尊も

有名である。

宇治に営んだ別邸の地はのちに

平等院となった。

 

書き始めるときりがないのが

嵯峨の地である。