レニ (ドキュメンタリー映画) | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

ネットの海を漂う吟遊詩人になって
見知らぬあなたに愛を吟じよう

監督・脚本 レイ・ミュラー

出演 レニ・リーフェンシュタール

1993年 製作国 ドイツ 上映時間 3時間8分

 

ナチス政権下に開催されたベルリンオリンピックを記録した映画「オリンピア」(「民族の祭典」

「美の祭典」の2部構成)を監督したことで知られている女性監督レニ・リーフェンシュタールの

半生を、本人へのインタビューや関連映像を交えて描いた本作は、ナチスの党大会を記録した

プロバガンダ映画として名高い「意志の勝利」に続き「オリンピア」を監督して、戦後糾弾され続けた

彼女が、果たして戦争犯罪人なのか、映画に美を見出していただけの芸術家なのかに

焦点を当てたドキュメンタリー映画です。

ダンサーとして名声を博していたレニが、映画女優になる切っ掛けなったのが、膝の怪我で

通院中に見つけた山岳映画「運命の山」のポスターでした。レニからオファーを受けたアーノルド・

ファンク監督は、レニにスター性を見出して新作の主役に抜擢、監督の期待通りに、天賦の才能を

発揮して女優として大成したレニは、映画監督としての資質があることにも気づいて製作した

処女作「青い光」を大ヒットさせます。

ヒトラーがレニを「意志の勝利」の監督に起用したのは、レニの演じた純潔で無邪気な恐れを

知らないアイドル(偶像)的な役柄が、求めていた大衆を先導するための理想像と重なったからで、

二人の関係は、この時点で決定付けられることなります。

 

 

映画作りに妥協を許さなかった完璧主義の彼女は、光やカメラアングルの拘りから、

新たなカメラやフィルムを作らせていますが、「オリンピア」では、競技の邪魔をしない練習中に

撮影した映像を本編に挿入するという記録映画としては邪道な方法を用いてでも、人間の

息遣いまでもフィルムに納めようとする芸術性を、鉄の意志で貫き通します。

100台を超えるカメラで撮影された400キロの膨大なフイルムを、レニ自身が2年間の編集作業を

経て、1938年のヒトラーの誕生日に漸く公開された「オリンピア」は、ヴェネツィア国際映画祭の

最高賞であるムッソリーニ賞や日本でもキネマ旬報の1位に選出されて、世界中で高い評価を

受けましたが、終戦後はヒトラーのプロバガンダ映画と批判され、「聖山」で演じたヒロインの

ユンタ同様に魔女扱いされたレニは、ヒトラーの妾と汚名を着せられたまま、2003年に101歳で

他界するのです。

 

 

レニは、自分もヒトラーの犠牲者だというスタンスで、「回想」と言う自伝を書いていますが、

「回想」の虚言を暴く「レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実 」も刊行されていて、

本作でも、ナチスとの事実確認のためにレニとインタビュアーが度々衝突する場面があるように、

どちらが真実なのかは観客に委ねられています。

映画の冒頭で、真相に迫る今回の試みは彼女の偏見や評価の回復につながるだろうか

レニとの会見に私は予測も先入観を持たずに臨んだというナレーションが入りますが、

晩年に出版したヌバ族の写真集を、肉体崇拝 力と強さの礼讃 戦士への讃美と、

エリート主義(社会をけん引するエリートは、肉体的にも頑健でなくてはならない)を揶揄する

ように、オリンピック選手と重ね合わせる場面があり、インタビュアーがレニにファシズム美学の

定義を考えたことがあるか?と問い質すところに作為を感じました。

確かなのは、彼女の才能は誰も疑う余地が無いという事で、ダンサーの時に怪我をしなければ、

「嘆きの天使」「モロッコ」のスタンバーグ監督からのハリウッドへの誘いを断っていなければ、

そして何よりも、生まれた時代が違っていれば、映画界での確固たる地位を確立して、

多くの秀作を生み出していた事でしょう。

 

 

反ユダヤ的だったことはないし、だからナチスに入党もしなかったのです。

どこに私の罪があるの?

原爆にも迫害にも無関係です。私の罪は何ですか?

レニ・リーフェンシュタール

 

 

 

 


 


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