本誌は、堀内大學の翻訳詩集「月下の一群」の名を借りて、状況劇場の唐十郎が編集人と
なって、澁澤龍彦、赤瀬川原平、巖谷國士、四谷シモン、津島佑子等月下のマントを纏った
魔都の戦士たちが、既存の価値観に縛られない武芸を披露した季刊誌ですが、
2号で廃刊になった、曰く付きの雑誌です。
1976年の5月に発行された創刊号は、チェーホフやイプセン等大上段に構えた人間解放劇が
演目の新劇を嫌っていた唐十郎らしく、人間よりも興味の対象にしていた“人形”を特集して
います。
本誌で一番印象に残っているのは、唐十郎と澁澤龍彦の往復書簡「下降の水路をたどる
ゴンドラ」の中で、澁澤龍彦が唐十郎は河に執着していて、河でなくても、水に縁のあるものが
必ず芝居に出てくると指摘しているところで、大人になっても、子宮のなかの羊水にどっぷりと浸かっていると言うイメージから、唐十郎を「水の詩人」と譬えています。
そう言われれば、唐十郎は芝居の中に歌が出てくる理由を、「これは、やっぱり水なんだと
思われます。言葉とアクションと、何かイケイケと急き立てるような,、何か水甕(みずがめ)の前にあって、それに乗っかって泳いでいけばいいんだな~てんで、歌がでてくるんですね。」と、西部邁との対談で答えていたのを思い出しました。
巻末には、彼の書下ろし戯曲「下町ホフマン」が掲載されていて、今読み返してみると、
当時の紅テントの熱気が蘇ってきて、現在も唐組に名を代えて芝居を続けている唐十郎が、
孫のように若い劇団員と水の様に酒を飲みかわし、ほろ酔い気分になりながら、
夢の河にゴンドラを浮かべて揺蕩んでいる情景が目に浮かんでいます。
ベニスに行こう。水の都、紅巣(ベニスへ)。
その身をゴンドラのようにのけぞらせて。
悲しい人の名を呼べば、黒い運河を吹きわたる風にたゆたえば、
路地は運河となり、紅灯の怪しいチロリ火は歌姫の吐いた血となり、
水にもつれてたゆたい、どこまでも流れ流れて、
水門を持つ一軒の城にたどりつくだろう。
そこは下谷の菊屋豆腐店。
風呂屋には煮えくりかえる湯。豆腐屋には冷やっこいお水。
そこにもしも亡き人の面影を認めたらば、ここにこそ、
水の都へゆく通底器をみるだろう。
「下町ホフマン」より





