小幡 績『東京電力をどうするか』に賛同 | 人力飛行少年の肉体を脱ぎ捨てたなら

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アゴラ言論プラットホームに3月25日付で掲載された、

経済学者で、慶應義塾大学ビジネススクール准教授小幡 績さんの

『東京電力をどうするか』の記事に賛同します。

読売新聞によると、東京電力の株式を過半数取得して、

一時国有化して再建する案が政府内に浮上しているらしいのですが、

全ての責任を東電に押し付けて、責任回避を図ろうとする政治家の思惑が

働いていることが、この記事を読んでもらえれば納得していただけると思います。



『東京電力をどうするか』



今、東京電力を支持している人は世の中に一人もいないようだ。

現場の英雄達を除けば、東京電力とは世界最大の犯罪人という扱いだ。

このような雰囲気の中、福島原発事故における危機対応から

長期の事後処理対応に変わる局面において、

東京電力を潰せという議論が起こる可能性が高い。

いや、既に起こっている。

私は、この議論に反対だ。理由は2つ。

東京電力に今回の原発事故の賠償責任をすべて負わせることは、

法律違反である。原子力損害賠償法は、異常に巨大な天災地変においては、

免責であることを明確に定めており、その場合は全額国が補償することになっている。

東日本大震災が異常に巨大な天災地変に当たることは疑いがない。

それにもかかわらず、感情論ではなく有識者が冷静に東京電力に賠償責任があると論じるのは、

今回の原発事故は天災ではなく人災による二次災害であるとみなしているからである。

この点は私も同意する。事故発生のニュースを聞いた第一感は、

全力で冷却するために即海水注入、廃炉など当然というものであった。

しかし、海水注入については状況を見守るということになり踏み切らなかった。

このとき私は海水注入には別のリスク(予期せぬ化学反応など)があり、

かえって危険なのだと思った。

ところが、その後の報道では、それはこれまでの開発、原発の設置が無駄になり、

再び別のところに原発を置くことは不可能だから、なんとしても廃炉は避けたいと言う思いから、

海水注入をためらったということになっている。

もしこの報道が事実だとすれば、明らかな判断ミスであり、その責任を取る必要がある。

しかし、これは報道ベースであり、慎重な議論が必要である。

仮にこの報道が100%事実だとするとどうか。その場合には、東京電力ではなく、政府に責任がある。

この報道が記述していることは、東京電力に事実の隠蔽はなく、事実報告を聞いて、

東京電力の意見(希望と呼びたければ呼んでもいいが)を取り入れて、

政府が判断したということだ。したがって、判断責任は政府にある。

しかも、政府は事故発生直後の3月11日夕方に、原子力緊急事態宣言をしている。

これはすべての権限を内閣総理大臣に集中し、いかなる決定も内閣総理大臣が出来るということであり、

逆に言えば、すべての責任は内閣総理大臣にあるのである。

したがって、今回の判断の誤りを東京電力に帰することは、政府を免責することであり、

これは今回の事態に対する法律的な判断として誤りであるだけでなく、

今後の日本国家の危機管理の改革を阻害することになる。政府が責任を負うべきなのだ。
理由の第二は、この点にある。今から我々は何をすべきか。その観点からは、

東京電力の改革以前に、政府の危機管理体制、能力、意思について抜本的な改革が必要であり、

そのためにどのような議論をするかということなのである。

今後の原子力政策。電力政策。危機管理政策。国の意思決定、トップ、組織のあり方の改革。

それらを東京電力の判断ミスに帰して議論を終えてしまうのが最悪のシナリオなのだ。

組織のガバナンスというのは将来のためにある。必罰であるべきなのは、

将来のインセンティブを維持するためだ。責任を取らせなければ、次の危機へ向けて、

危機管理をするインセンティブがなくなる。失敗しても責任を取らなくていいからだ。

東京電力および現経営陣および社員の将来のインセンティブ、モチベーションは

これからどうなると考えられるか。

東京電力という組織を信用しないのであれば、原子力安全・保安院を信用するのか。

経済産業省と資源エネルギー庁に絶対の信頼を置くのか。国の組織となれば、

判断ミスはなくなるのか。東京電力は、これまでの原発設置の苦労が大きすぎて、

その世界の中で生きてしまい、視野が狭くなり、大局的な判断を誤ったのではないか。

これは非常に役人的、官僚的なセクショナリズムではないのか。

小役人であったからこそ、あらゆる放射能漏れを回避しようとして、

大きなリスクを実現させてしまったのではないか。

一方、民営化し、競争させれば、この人災はなくなったのか。判断ミスはなくなるのか。

東京電力は民間として、これまでのコスト、これからのコストを意識したから失敗したのではないか。

同時に、今の東京電力には無駄が多いかもしれないが、一方で、命を賭けて守り抜こうという社員、

この危機に萎縮しながらも逃げようとはしない姿勢は、民間企業の中でも、

営利を強く追求するスタイルの経営の企業には生まれないものではないか。
この事件を受けて東京電力の経営陣、社員はどう思っているのだろうか。

彼ら、彼女らは、誰もよりも電力の公共性、重要性、原発のリスク、企業としての社会的使命を

感じているはずだ。今後、これをどうやって償っていくか、誰よりも考えているはずだ。

原子力関係の技術者も、今後稼働中の発電所をどうやって補強、再構築、運転の改善点、

マネジメントの改善点、リスク管理の改革、すべてにおいて、全力で取り組むだろう。

このモチベーションを阻害しないほうがいい。代わりの人間達よりも、誰よりも強くこれを意識するはずだ。

もちろん改革すべきでないといっているのではない。経営陣の交代、ホワイトカラーの人員の削減、

経営層も窓口もCMもすべてがリストラ対象になるだろう。

しかし、闇雲につぶすことが、社会のためになるとは限らない。

むしろ逆効果だと思う。政治の責任逃れを助け、感情的な溜飲を下げ、そして、

今後の稼働中の原発のリスクを低下させることにならない。

重要なのは、ガバナンスだ。新しい経営陣に誰を選ぶか。選ぶ人を誰が選ぶか。

新しい経営陣を今後どのようにガバナンスするか。そちらの制度設計のほうが重要だ。

たとえば、全員を首にすることよりも、今後の電源開発部門と実際のオペレーション、

リスクマネイジメント部門を切り離すことのほうが重要ではないか。

今回の失敗はその意味で予想された失敗である。インセンティブ、組織の設計が間違っていて、

電源開発の苦労を背負い込ませすぎていたのだ。それは国家で全責任を負わずに、

一民間企業にの住民、地域対策を含めた負担を依存していたことに問題があった。

必要なのはオールジャパンで、日本人というチームメイトとともに、将来をどう設計するか、ということなのだ。

小幡 績

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