これって、自己肯定感が低いという事なのだろうか。 

「すごいね」
「頑張ったね」
「上手やね」

抽象的な褒め方が好きでないという事なのだろうか。
 

   塗り絵をしたとする。頑張っても、私ごときの技術では上手くはいかない。 納得のいくものではない。

でも、自慢はする。

「こんなのできてん」


この私自身の問いに対する正解が自分でも分からない。

「すごいね」

      どごがどう?

「頑張ったね」

     どのくらい集中したか知らないよね。

「上手やね」

      本当にそう思ってる?適当に答えてるよね。



私は何と言われたいのただろう。

「ここの色合いがいいと思う」
「ここどの色使ったん?」
「ここもう少しこうしたらいいかもね」

正解に近い感じ。

自分より塗り絵が上手な人に言われたら何でもいいのかもしれない。


誰に言われるか、という問題なのか。




親に言われても何も嬉しくないんだよな。

この人、何を分かっているんだろう、と。




  逆なんだよなぁ。

  家族が全然信頼出来ない環境だったら、その穴を家の外で埋めようとするのが一般的な気がするけれど、

一番身近な家族をあてにできないから、まして他人を頼ることなんてできるはずがなくて。

でも他人と関わるのストレスが大きいから、家族になら心を開こう、分かってもらえると思って毎回期待しては、勝手に裏切られ、その欲求が満たされることはない。


堂々巡りっすな。



結局、誰に何をどう褒められても、私は喜べないし、納得しないのかもしれない。



   漫画で、ヒロインがめちゃくちゃ口説かれたり、甘い言葉を囁かれたりしてるシーン見てると、

「もっと押すんだーーいけーー!」  
 


って、前向きに応援してしまうのだが、リアルに自分が言われる所を想像すると、

「いや、嘘はやめようね」

と思うのは、三次元あるあるにしても、


家族、仲の良い友人、同僚に何を褒められても、フォローされても、共感されても、嘘っぽく感じてしまうこの心は何なのだろう。

汚れてるよね。




   別に人生を嫌な事ばかりじゃない。ご機嫌に歌いながら、田んぼの真ん中を歩いたり、ゲームしたり、悶えながら漫画読んだり。

仕事も別に嫌じゃない。どちらかと言えば楽しい。



  そんなに不幸な人生でもないし、これからを悲観しているわけでもないのに、このズレだけは治らない。

自分という人間が一番信じられない、のだろう。

信じられない人間(私)を信じているであろう家族や友人や知人は信じられない。




  こんなだめだめな自分であっても、多分唯一の存在で、自分くらいは褒めたり、可愛がったりしないと、というのも分かっている、のにね。


あれ、暗い話になった。

  要は、漫画に出てくるような素敵な騎士様が現れたとしても、このブロック的なものが解放されない限り、私は人の好意を受け入れられないのだろうし、恐らくそういう殿方は現れない人生な気がしている、ということ。




心を燃やせ、炭治郎!

煉獄さんがそばに居てくれたら頑もう少し張れる気がする。女子力上がる気がする。

煉獄さんとの新婚生活の妄想はいつもヨダレものでなのです…。ごめんなさいぃ…。同人誌ってどこに売ってるんだーー