He who can, does. He who cannot, teaches.(出来る人は行い、出来ない人が教える)

 

私は学校の先生達に対し異様に厳しい。

1980年代~90年代の思い出から導かれる判断として、異様に厳しく判断を下している。(今の教師のことは知らないが)

 

簡単に言えば「クソ」だと思っているということ。

 

小学校・中学校・高校を振り返って私から合格点を与えられる教師は片手で数えられる人数しかない、と勝手に思っている。

思うのは勝手だから。

 

今、10代の時私の前にいたクソ教師が出てきたと仮定する。

その教師に向い38歳になった私は「てめえ、引っ込んでいろ。お前なんぞ俺様の100分の1以下の存在だ」と言い放つだろう。(いや、本当に)

 

さすがに当時でも「大人になれば分かる」と言う教師はいなかった。

しかしその雰囲気を醸し出している教師はいた。

 

38歳になって分かったのは「お前のガチクソ具合」である。

悪いことに私が公務員となり、小役人的発想と言うものを死ぬほど理解してしまったからだ。

私は小・中と市立で、高は県立だった。

 

「クソ教師がやっていたのば教育のカケラもない、小役人的発想の帳尻合わせに過ぎない」と断定できるようになった、これが大人の階段をのぼって公務員になった38歳オジサンによるお前らクソ教師に対する冷酷な判決である。

 

クソ以外の片手で数えられる教師の方々には「まぁ、ぼちぼちやってますよ」と位は言える、とこれまた勝手に思っている。

自分の世界(末端国家公務員の世界)ではそれなりに生きている、と。

 

予備校講師までに拡張すればどうだろうか?

1997年浪人生として駿台予備校お茶の水校に通っていた。

優秀な講師陣に教わった。

駿台講師陣の中で現代文の霜栄氏、古文の関谷浩氏、日本史の福井紳一氏、英文法の仲本浩喜氏、英文解釈の太庸吉氏なんぞがかなり印象的である。

 

これらの講師の方々を目の前にした場合「まぁ、私の世界には私の世界なりの正解がありますので」と汗をカキカキしながら「強弁」することはなんとか許されるだろう。

強弁ではあるが。

 

先程印象的な駿台予備校講師を5名挙げたが、一番印象的な講師、否、別格な程印象的な講師を挙げなかった。

それが

 

英語講師・奥井潔氏

 

である。

しかしながら困ったことに英語の中で何を担当していたと説明すればいいのかわからない。

後術するが奥井潔氏は「英語講師として」印象的だったとも言い難いのだ。

仕方がないので「choice(チョイス)」の奥井潔氏としか言いようがない。

 

だから

 

駿台講師陣の中で現代文の霜栄氏、古文の関谷浩氏、日本史の福井紳一氏、英文法の仲本浩喜氏、英文解釈の太庸吉氏なんぞがかなり印象的である。

 

 

駿台講師陣の中で現代文の霜栄氏、古文の関谷浩氏、日本史の福井紳一氏、英文法の仲本浩喜氏、英文解釈の太庸吉氏なんぞがかなり印象的であるが、choice(チョイス)の奥井潔は別格の中の別格で印象的であった。

 

と書き換えられるべきなのだ。

「choice(チョイス)とはなんぞや?」という人が大半であろう。

「choice(チョイス)」はと駿台予備校で使っていた英語のテキスト。

だから駿台予備校に通ってない人はまず知らないだろう。

この「choice(チョイス)」を使って奥井潔氏は講義を行っていた。

 

そしてその「choice(チョイス)」は今はもうないそうだ。

だから元駿台生でも若い人は知らない人が多いと思う。

 

He who can, does. He who cannot, teaches.(出来る人は行い、出来ない人が教える)

 

という英文を最初に載せた。

クソ教師どもに対する随分嫌味な英文であるが、この英文を見つけたのは斎藤雅久「かつて「チョイス」という名の英語教材があった」という英語教材。

 

2017年7月現在「続・かつて「チョイス」という名の英語教材があった」も発売中!

 

この英語教材のタイトルが「かつて」となっているように「choice(チョイス)」はもうないそうである。

「かつて「チョイス」という名の英語教材があった」p4より引用する。

 

奥井先生が亡くなれた3,4年後、どのような事情だから知りませんが、駿台予備校は、この伝統があり数十万人が学んだ、格調高く志のある「チョイス」を廃止して「構文」とかいう下品なテキストにしてしまいました。

 

以上が引用である。

 

wikipediaを見ると奥井潔氏がなくなったのが2000年とあるから2000年代前半には「choice(チョイス)」も奥井潔先生の後を追うように他界したらしい。

 

「かつて「チョイス」という名の英語教材があった」著者の斎藤雅久氏は奥井潔氏から「駿台に、ではなく「チョイス」を教えに来ないか」と誘われて1992年から駿台で「choice(チョイス)」を担当したそうだ。

 

駿台で「choice(チョイス)」を担当された別の英語講師に今井宏氏がおられる。

 

 

今井宏氏が「2008年8月11日のブログ記事」で奥井潔氏と「choice(チョイス)」のことを書いている。

一部引用したい。

 

千葉県の柏まで出かけてでも、それでも「CHOICE」を教えることには魅力があった。

とにかく「CHOICEだけは滅多な講師には任せられない」という誇りが学校側にもあって、駿台でも選りすぐりの講師だけが毎年これを担当。

 

この短くて難解極まる英文を、年間で約35問解説するのである。授業は年間で22回だから、1回の授業で1.5問ずつ進んでいけばいい。

何とも中途半端な進み方になるが、今の高校生からみたら、このわずかな分量は驚きではないだろうか。

1問14~15行。ということは一回の授業で20数行進めばそれでOKなのである。

設問も、一切なし。英文を和訳すれば、それで終わり。素っ気ないことこの上なしである。

 

奥井先生も得意の奥井節でひたすら哲学を語り、英語のことなどほとんど語らない。

何しろ大学の文学部長である。

受験生の向学心をそそらずにはおかない。

 

講師たちの進度があまりにも遅いので、奥井先生による「進度調査」というのがあった。

1学期も2学期も、CHOICEをどこまで講義したか、奥井先生が聞き取り調査を(つまり飲み会を)行うのである。

奥井先生が納得しなければ、厳しい叱責を受ける。

ただし、どれほど遅くても叱責を受けることはない。叱られるのは「速すぎる」「進みすぎる」講師なのである。

「キミ、そんなに速く進んで、講義内容は痩せていないかね」「たった11回の授業で、なぜ6問も進んだのかね。キミの授業は痩せ細っている。痩せ細った講義をカテに、若者の精神の成長がありうると考えられるかね」「キミは、若者の心の不安を感じ取っていないのだ。」

 

以上が引用である。

今井宏氏のブログ記事には「choice(チョイス)」の写真もあり、どのくらい薄いテキストだったか書いてあるので興味があれば是非ご参照いただきたい。

 

講義の進度が早すぎると講師が怒られると言うのは知らなかったし、驚きだが、そもそもテキストを終わらせると言う概念は「choice(チョイス)」の全面責任者である奥井潔氏には全くなかったのだろう。

 

幸せなことに私は駿台予備校で「choice(チョイス)」の講座を受けることができただけではなく、奥井潔先生の講義を直接受けることが出来た。

 

今井宏氏のブログ記事にある通り、

 

奥井潔氏は英語の授業であるはずなのに英語の話はほとんどしなかった。

人生だとか哲学とか文学とかそんな話ばかりである。

しかも話の内容は高度すぎて受験に役立つとは到底思えない。

 

私が駿台予備校に通っていたのは1997年である。

教壇を降りて教室をウロウロすることもしばしばであったが、「転んで転倒しないか」と内心心配した。

2000年に奥井潔氏は亡くなるので、最晩年の講義である。

 

奥井潔氏も「もう10年単位で講義が出来ない」と覚悟して英語の話を無視し英語以外の大事な話ばかりし続けたのかもしれない。

もしかしたら生徒の学力に合わせて英語の話は最初からほぼ放棄していたのかもしれない。

本来奥井潔氏の講義はどこでもそうなのかもしれない。

その当たりの判断はつかないが、私の属する浪人生向けクラスの「choice(チョイス)」の講義は受験に役立ちそうではなかった。

それでも大教室は毎回満室であった。

 

浪人生は後がないのでシビアで役に立たない(合わない)講師の授業なんぞ平気で切る(=出なくなる)。

そんな中で受験に役立つとは思えない話ばかり、しかも英語と関係ない話を延々と続ける講義が毎回満席とは不思議な光景である。

 

頭が悪い私は「choice(チョイス)」のテキストを捨ててしまった。

取っておけばよかったと痛恨の極み。

さらに頭が悪い私は奥井潔氏の話をほとんど覚えていない(苦笑)

何を聞いていたんだ、と。

 

しかし本当に頭の悪さは次のことに気づかなかったことだろう。

 

奥井潔氏から学ぶべきは奥井潔氏の存在そのものである。

 

話を最初に戻す。

歴代の教師・予備校講師が38歳の目の前に現れたと仮定する。

圧倒的クソ教師どもには私は罵声を浴びせるだろうし、クソ教師以外のごく少数の教師には「ぼちぼちやってますよ」位お茶を濁せるし、印象的な予備校講師には強弁できる。

このように書いた。

 

ただし奥井潔氏だけは別である。

奥井潔氏が今、38歳の私の目の前に現れて「君、何をやっているのかね?」「私の授業をちゃんと聞いていたのかね?」と戦前生まれ特有のこの口調で言われたら私は「申し訳ございません」としか言いようがないのである。

心の底から。

心のなかで強弁することすら許されないのである。

 

今思い返すと38年生きてきて、出会った人物の中で圧倒的別格な人は奥井潔氏だけである。

「それだけのヘボい人生をお前は歩んできたんだろう」と言われればそれまでだが「別格」は何人かいても「圧倒的別格」は奥井潔氏だけであった。

 

学生(12年)→浪人生(1年)→大学生(4年)→社会人(15年)と生きてきて圧倒的別格にであったのは1年間の駿台予備校浪人時代だというのは不思議である。

 

世の中には自分にとって圧倒的別格な人が(どこかに)存在する

 

ということを奥井潔氏に出会わなければ私は気づかなかった訳だ。

 

 

 

 

上記2冊のみが奥井潔氏が世に送り出した英語教材なのだそうだ。

しかしながら2冊とも絶版。

ひどい話だ、本当に。

なんとか復刻してほしい。

 

本当は上記2冊を買ってやりたいのだが、不可能(中古本は高くて買えない・・・)なので「かつて「チョイス」という名の英語教材があった」を必死になってやっている次第である。

 

 


私のTwitter。「かつて「チョイス」という名の英語教材があった」学習の様子。

 

 

機会があればこのブログ記事を基盤にして奥井潔先生のことを何回か書いていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

今井宏氏のブログ記事を引用しましたので、宣伝。