もう29年、まだ29年。 | *アラフィフ主婦の日常ラボ*

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楽しい事をまだまだ探したい、そんなアラフィフの研究所(ラボ)のようなブログです。

こんばんは😊
あの震災から29年目の今日。
そして今年はまた大きな震災があり
改めて「地震の多い国」だと
心に刻むことになった年ですね。

あの当時、私は結婚してすぐで
大阪に住んでいました。
でも旦那さんの実家は兵庫県。
ただ西の方だったので、
家の物が落ちまくったくらいで
大丈夫でした。

大変だったのは義父で
当時、鉄道会社に勤めていて、
地震当日、勤務先の西宮まで行くのに
電車は当然止まり、家を出る時に
何人かの社員さんと連絡が取れて
乗り合いでタクシーで行くも
道が通れない💦
神戸の手前で動けなくなり
途中からはほぼ歩きで出勤したそうです。
崩れた建物の中やその前で
「家から出られない」「助けて下さい」
という人が何人もいて
助け出せそうな人を助けながら歩いたと。
そんな大変な中なのに
「お礼を改めてしたいので、
   名刺か何かお持ちではないですか?」
と、言われた事に驚いていました。
こんな大変な時に、お礼を言う事を
考えるなんて、日本人は素晴らしいなと。
義父は丁重にお断りしたそうです。

そこから義父は2週間、
家には帰れませんでした。
2週間後、ヨレヨレの状態で
「家に帰る方法がないから
   お前のとこで少し休ませて欲しい」
と、家に来たのをよく覚えてます。
道も鉄道も寸断されて、
同じ兵庫県内に帰るのに、
4時間以上かかっていたので
1時間程で来れる家の方が、
近かったんです。

そして中学時代に、部活で一緒だった
同級生と先輩が、西宮で亡くなったと
知りました。
姉妹でこちらに出てきてたらしく
こんな運命もあるんだなと、
すごく落ち込んだことを思い出します。

頑張れと言うのは簡単です。
でも頑張れないほどの大きな出来事だと
なんと言うのが適切だろうか?と
いつも考えてしまいます。

余談ですが……✋
この時、義父が半月家に帰れない中
義母はどうしてたのか?と言いますと
宮崎の叔母の所へ行っていて
この地震を経験してないのですびっくり
この悪運の強さ。。。
「お義母さん…長生きするやろな」
と、この時確信しましたネガティブ