私が英語ができるようになったワケ | 「心とお金の言霊コーチ」佐藤文香のブログ

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このことについて、改めて書いたことはなかったと思います。


私には留学経験がありません。
海外で暮らしたこともありません。
せいぜい1カ月ホームステイをしたくらいです。
あとは数週間ひとりで海外を旅したことが何度かある程度。



英語を勉強するのは子どものころから好きでしたが、大学まではわりとシャイ(!)で、英語をしゃべる機会があったとしても積極的に話すことができませんでした。

今でも英会話講師としては、それほど英語が達者な方ではないかもしれません。
TOEICのスコアも、英語を仕事にしている人間としてはそう自慢できるほどじゃでいですしね(^^ゞ

それでも超大手の英会話学校に講師として採用してもらうことができたし、今も英会話講師をし、高校生の受験英語の指導もしながらスクールのマネジャー的な仕事もあり、という感じでネイティブの先生たちと渡り合っています


なぜここまで英語が使えるようになれたのか。
英語学習を始めたころからをちょっと振り返ってみようかと思います。
その中でみなさんのお役に立つヒントがあればいいな(*^_^*)と思います


時計小学校5年生~中学生
当時はまだ今のように英会話学校が乱立しているような時代ではありませんでした。でもちょうどそのころから英会話学校ができ始め、子どもも英語を習うようになってきた時だったかもしれません。

小学校5年の時、友達に誘われて「●●社 LL英語教室」に通い始めました。
ここでどのくらい力が付いたかは分かりません^^; スピーチコンテストで賞をもらった覚えはありますが…。読み・書きの練習もしていた覚えはありますが、小学生のうちは単語が書けるようなったとかいうところまではいってなかったと思います。

あとはNHKのラジオ講座を聞いてました。
でもそれを聞いていて理解できるようになっていたかというと怪しいものです。先生の言ってる英語もあまり聞き取れていなかったと思います。
でも、意味がわからないままも口に出してリピートだけはしていました

中学校に入ってからはLL英語教室とラジオ講座、あとは学校の勉強。
印象に残っているのは、1~2年の時の英語の先生が丁寧に発音の仕方を教えてくれたこと
[f]、[L]、[r]、[th]などの発音をするときの舌の動かし方や唇の形なども繰り返し練習させられました。
年配の先生で、今思うと先生自身の発音はわりとジャパニーズイングリッシュだった気もしますが、この経験は今のわたしの指導にも生きています



時計高校時代
ある意味挫折の時期でした^^;
LL英語教室は中学までなので、親が近所に英会話教室を見つけてくれ、そこに行ってみました。
が、先生は外国人、習いに来ている人は大人ばかりという環境にビビり、1日でドロップアウト
どちらにしろ学校の勉強でいっぱいいっぱいで、それ以外の習い事をするような余裕はなかったですけどね。

それでもラジオ講座の「英語会話」は、毎日ではないですがなんとなく聴いていたように記憶しています。

あと、父も英会話の勉強が好きな人(実践で生きているかは不明ですが)で、なんだか高い英語学習教材をいろいろ買っていたので、それをなんとなく聞いてリピートの練習はしていました

でも、ラジオ講座も英語教材も、意味もしっかり理解して勉強していたわけではありません

高校時代は劣等感の方が強かったです。
超進学校だったために、周りは頭のいい人ばかり。そんな人たちに比べると私の英語の出来なんてたいしたものではありません。
授業で習う文法などが理解しきれない、というのはある意味ショックでした。まぁ、でも今教える立場になってみてみると、高校で習う文法を完璧に理解できている人なんて先生でもなかなかいない(できる人はたぶん英検1級レベルですよ)と思いますが。

最初は外語大の英語科に行きたいと思っていました。でもリスニング力にも自信がなく、大学受験のためにリスニングの勉強をするのが面倒(ほかの科目の勉強も満足にできないのにそこまで時間が割けないと思ってました)なのと、「大学は英語を勉強するためだけに行くんじゃない」という半分負け惜しみのような理由で、志望学部を国際関係にし、第2志望(苦笑)だった大学に進学します。


長くなったので、続きは次回に。