醍醐寺金堂(国宝)
10世紀に醍醐天皇が釈迦堂として建立。その後、2度ほど火災により焼失。現在のは慶長三年(1598)に豊臣秀吉により再建される。正面七間側面五間で中央三間が内陣。基本は和様建築だが屋根が高く桃山時代の建築であるということをうかがわせる。
醍醐寺金堂(国宝)
10世紀に醍醐天皇が釈迦堂として建立。その後、2度ほど火災により焼失。現在のは慶長三年(1598)に豊臣秀吉により再建される。正面七間側面五間で中央三間が内陣。基本は和様建築だが屋根が高く桃山時代の建築であるということをうかがわせる。
宇治上神社本殿(国宝)
平安時代に建てられた神社で現存最古の遺構である。一間社流造の内殿が3つあり、覆い屋がそれらを覆っている。中殿は覆い屋の屋根と内殿の屋根が共有になっている。左殿には天下三蟇股の一つがある。ちなみに残りの二つは醍醐寺(上醍醐)の薬師堂と中尊寺金色堂である。
流造は屋根が切妻造りで平入りだが前方に庇が突き出している。また、井桁状の土台に乗っている形式が基本である。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。しかし、おそらく一番マイナーなところであろう。
泉涌寺仏殿(重要文化財)
1668年に徳川家綱により再建される。正面五間側面五間で入母屋造りで裳階がつく。扇垂木・詰組・花頭窓・桟唐戸・鏡天井・波型連子など禅宗様が随所に見られて禅宗様の典型的な仏堂である。鏡天井には狩野探幽筆の龍図が描かれる。
3月中旬の涅槃会の時には日本で一番でかいとされる縦16m横8mの釈迦涅槃図がかけられる。もともとは東大寺の大仏殿にかける予定のものだったそうだが紆余曲折をへて現在こちらに保存されている。
禅宗様の勉強をする際には必ず見に行った方がよい所です。天井を見ると圧倒されます。
元興寺極楽坊本堂(国宝)
僧侶の住まいだった僧坊の東端が念仏道場に変わり、寛元二年(1244)に本堂に改められた。浄土曼荼羅を本尊としている。そのため極楽坊という名がつき正面が東向きである。
平面は正面六間側面七間。寄棟造りで妻入り。寄棟の妻入りは珍しいと思います。瓦の葺き方が行基葺きというめずらしい葺き方をしている。内部の柱の配置がおかしいです。なんでだろう?
東大寺二月堂(国宝)
「お水とり」で知られる修二会を行うお堂。現在の建物は寛文七年(1667)の修二会の最中に全焼したのを再建したものにあたる。
清水寺の本堂にも見られる懸造りを用いて丘の上にたっている。縁の部分を出す際の組物には東大寺南大門などに見られる大仏様が用いられている。
最近国宝に指定されたばかり
の建築です。お水取り見に行きたいな~。
仁和寺金堂(国宝)
創建は仁和四年(890)である。その後、何度か焼失している。現在のは慶長十八年(1613)に御所の紫宸殿として建てられたものを寛永二十年(1643)に仁和寺に移築されたものである。御所建築の名残を見せるのが残っている。
一つが三重垂木で寺院では基本的に一重、もしくは二重が普通。三重は基本的に御所のみ。しかし、なぜか興福寺の南円堂などでは使用されている。
二つ目が蔀戸。しかし、御所で使用されてた際には内にひらく形式だった。現在は半蔀で外開き。
変更した点は堂内はふきはなしだったが移築された際に内部に板扉がつけられ内陣と外陣の区別が明確についている。
本尊は阿弥陀如来。現在、金堂に安置されているのは江戸時代につくられたもので創建当初の旧本尊は現在霊宝館に展示してある。
御所建築の特徴が残っている非常に貴重な建物です。
東寺五重塔(国宝)
寛永十二年(1644)に徳川家光の寄進により建てられた。東寺の五重塔は空海が嵯峨天皇から東寺を賜った弘仁十四年(823)には存在していなかった。天長三年(826)に造営に着手。そしてようやく元慶七年(883)に初代の塔が完成する。しかし、度重なる落雷により焼失。(一度だけ不審火の時があった)現在の塔は五代目にあたる。
基壇の上から相輪の頂部までまでで55m。日本一高い五重塔である。外見は純和様建築で復古主義的な造りをしている。内部は心柱を大日如来に見立てて四方に金剛界四仏と八大菩薩を安置している。
すらっとしている塔で綺麗な塔です。京都のシンボル的な存在となっています。
はじめまして、こんにちは。これから自分の好きな文化財を紹介していきたいと思っております。更新のペースはそんなに早くないかと思いますがあたたかく見守ってくれれば幸いです。
よろしくお願いします。