令和8年1月1日(木) 天気 晴れ
今日のわが市は、
早朝の最低気温は
午前7時の0度。
日中の最高気温は、
13時の9、7度でした。
朝起きて気になったのは風でした。
というのも
今日元旦は、
わが県央から県西部→東部と、
100㎞を7区間に分けた
前日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)が
開催れる日です。
今年の駅伝は第70回大会です。
わが県で初めて開催されたのは、
第32回大会(1988年)からです。
それまでは、
第1回から30回大会(1986年)までは
三重県伊勢市で開催されていました。
第31回(1987年)は滋賀県彦根市へ移り
32回大会から
わが県で開催されるようになりました。
1988年当時は、
自分自身が選手としては引退してから、
約15年近くたち、
日本陸上競技連盟の
公認審判員登録を
していたころです。
当然審判として、
協力をし参加していました。
折り返しなしの
コースですので、
当然審判員の人数も多く必要です。

ニューイヤー駅伝のコース
なぜわが県で開催されるように
なったのかというと、
いくつかの理由があります。
1つはテレビ中継の関係です。
赤城山エリアの1箇所で
コース全体の電波を拾えるため、
テレビ中継のコストを抑え、
安定した放送が可能な為です。
それまでの大会では、
一部山間地域を走るため、
電波障害が発生していました。
2つめは、
都市が道路で結ばれており、
・道路が広い
・中継車が動きやすい
・安全に管理しやすい
など、
大会運営に適した環境が
整っていました。
100kmもの長距離を、
一本道ではなく大きなループで
構成できるのも特徴。
走る側・中継側・警備側の
べてにとって好条件だったと考
考えられています。
3つめは
駅伝チームの多くが
関東に集中していた為、
移動がしやすい。
等が挙げられています。
そんな事からわが県で、
元旦の駅伝が続いています。
文一窯が実際に見ている場所は、
家から歩数でいうと、
約210歩程度歩いた
国道沿いです。
選手の通過前
まだ少し時間があります。
選手が走るための最後の準備
警察官が、
センターライン上にコーンを並べて、
います。
角から出て来る
自動車が道路に入るのを
止める為です。
先導する警察車
まもなく通過することを
アナウンスしていきました。
上空にはヘリコプター
テレビ中継用のヘリコプターが、
飛んでます。
中継車(1号車)
この車の中には、
解説者やアナウンサーが乗り、
中継をしています。
先頭の選手の通過
中継車が通った直ぐ後には、
先頭の選手が走っていきます。
ゴールまで
約2、2Kmほどです。
選手は1㎞を
2分50秒ほどで走ります。
それから計算をすると、
5分と少しで、
ゴールしてしまいます。
やはりゴールを観たいので、
先頭の選手の通過を見て
直ぐに家に戻りました。
競り合っている年は
3位くらいまで観てられますが、
今年は独走状態でしたので、
1位通過後すぐに家に戻り、
ゴールはテレビ観戦でした。





