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文学ing

森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

2022年が始まった頃に、失ってもいいはずだった人生に妙な欲が出て、霜の降りたる。

 

そう、人間を41年目になって、生物としての耐用年数はもう十分こなした。戦国時代だったらとっくに寿命。できないことははっきりと体験して理解した。思いがけず恵まれた瞬間もあった。もういい。何もしない、何もいらない。人としての時間も存在も。

 

と、思っていたので、成り行き任せで適当に生きて、頃合いで死のうと思っていた、この年の初めの頃

(とはいえ、まだなにかを書こうという気持ちは残っていたのですが)

 

それからあっさり日が過ぎて、いや、あっさりとは過ぎなかったけど、そう、あっさりとは過ぎなかったのだ。その、日日過ぎていく一回一回が、肉に刺さる爪の先みたいに、徐々に徐々に食い込んで、だんだん無視できない位になりました。何がか。

 

命の重さ。

 

死んだ人間は帰ってこない。

 

このわずかな時間の間にも、年寄が車に閉じ込めて蒸し殺した小さな子供がいた。全くの悪意で餓死させられる子供も居る。頑張っても頑張っても、気がついたら死んでる。命の軽さ。

 

故に重さ。死んだ人間は帰ってこない。私も、死んでからもう一度ここに戻ってくることはしないのだ。物理的に。意識よりも神の法則よりも、焼け落ちた肉体がそれをさせない。失われた肉体は再起しないのだ。

 

リブートできるのはAIくらいだ。

 

で、どうするの。それ以前とそれ以後で、死生観にどんな違いあるの? 自分も息子たちも夫も、あっさり死んでいくことをどうしようもできない、かなり以前から分かっているこの事実を、改めて視認する今、それ以前とそれ以降に何が違うの。

 

執着。

例えば、一年前の今よりも、執着していることがある。そして、生命の重さが幼児の爪の大きさで肉体に染み付いた今、それを無視することができない。

 

人生にリブートはない。やりたいと願うかは勝手だけど、少なくとも成功率は0だ。

 

つまり、生存に対する欲が出ています。あと10年せめて、だから、実質的に5年。

欲がある。では、さて、生きるのだ。