長編小説「自動的なマシーン」2 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

 パートナーとは月に一度お互いの近況を話し合う。この人は夫なのだけれど、今は別々に暮らしている。

 マシーンを間に挟んで私はこの人と何度も諍った。諍いあった結果、彼との関係は破たんした。夫婦として、家族として駄目になった。私にはそこに至るまでの流れが、単純な日常でしかないと感じていた。今でもそう思っている。

 彼との口論が三年目に入ったときに、私たちはマシーンの復学だけじゃなくて、二人別れるための話し合いもし始めた。私がマシーンを閉じ込めてから、三年過ぎるのはあっという間だった。

 夫は何度か私に、今すぐにでも家から出て行けと言った。息子を置いて出て行ってくれと言った。私は、

「冗談じゃないわ。」

 夫の言葉に抵抗した。

「お前はいつまでカズをこんな状態にさせておくつもりだ。」

「いつまでだってこうしておくわよ。」

 私が息子にしていること、部屋に閉じ込めて外に出ないようにしたこと、夫は最初当惑していたけど、やがて怒りを露わにするようになっていった。一体何のつもりなんだ、と言って私を非難したのだった。

 私は、もう二度とマシーンを外には出しませんと言い切った。夫は私が、私たちの息子を機械と呼んだ事に驚愕して、

「なんてことを言うんだ。」

 彼はとても哀しそうな顔をしていた。私は、彼が悲しんでいることが嫌だった。状況を全く理解していない、そう思ったから。彼は私とは違うことを考えて、違うことを望んでいただろう、どんなときだって。でなければ私たちの関係は壊れたりしなかった。

 夫はマシーンの学校復帰を望んでいた。何でもいいから早くカズを復学させなさい。と彼は強く主張した。顔を見ればそんな言葉ばかり聞いた。おい、今日も学校に行かせないつもりか、と。

「絶対にあの子を外には出しません。自分のやったことを自覚するまで、何としても外に出さない!」

 私は夫が分かるようにそう説明したつもりだったのに。

「カズだってもう十分に反省している。」

 夫の反論はいつも的外れだった。私は、人生を一緒に過ごしてきたはずの相手の無理解に苦しんだ。どうしてこの人はこんなに私の事が理解できないんだろうと。分かっている。この人は状況を良いようにしか解釈しない。私は、起きたことを最大限悪く解釈していた。決定的な隔たりが私たちの間に横たわっていた。

 世界にはどうしても壊すことが出来ない境目と言うものがある。そんな風に、絶対に解決する事の出来ない隔たりだった。

 

 そして、最後の口論の日になった。彼の落胆は激しかっただろう。疲労感も。そして私に裏切られたと感じたはず。私の事が憎かっただろう。同じことをされたら私もそう感じるから。

 夫は言った。

「お前はいったいカズの何がそんなに気に入らないんだ。もう三年も経つんだぞ。このままじゃ、あの子は社会的に自立出来ない人間になってしまうぞ。お前は自分が息子一人をいつまで抱き込んでられると思っている。甘くないぞ。子供は自立しなきゃならん。」

「いつまでだってそうするわよ。」

 私はいざとなったら夫を殺す覚悟だって出来ていた。殺した後どうしたらいいかは分からなかったけれど、とにかく覚悟だけは出来ていた。

「私はね、こんなことになったら絶対自分の子供を赦さないって産む前から決めていたのよ。」

「それはもう何度も聞いたよ。」

 夫は水を含んだ新聞紙のような顔をしていた。夫は多くの人やモノに虐げられていた。仕事、家庭、私。人間関係。こんなどろどろな顔になってしまうのも仕方ない。

「な。カズのしたことはそんなに酷いことか?」

「人の親をやっている人間の言葉とも思えないわね。」

 私は立って、リビングの電話の傍に置いている陶器の猫を取りに行った。やめなさい、と夫はあからさまに動揺した。時として私は夫の前でマシーンに暴力を振るった。この猫で私がマシーンを何度も何度も殴りつけたのを、この人は嫌というほど見ている。私は猫を両手に抱えながら言った。

「今、あの子に出来る中で一番最低なことをしでかしたのよ。しかも本人たちには反省以外何もしてない。反省って何よ! 反省したらあの子のやったことが無かったことに出来るなんて。絶対にこの家を出ていかない。どうしても出ていけと言うんなら、あの子を連れて出ていく。」

「そんなことを許せるか。」

 夫は座っていた椅子から立ち上がった。粘土色の顔のままで。

「俺はカズを絶対に復学させるぞ。三年だぞ。お前はカズを三年も学校に行かせないじゃないか。

 今までは我慢してやっていたがこれは、こんな言い方をしたくはないが虐待だ。虐待なんだ。俺は親としてカズが自立出来るように助けてやらなくちゃならんのだ。だから警察の力を借りる事になっても、お前のやっていることを止めさせる。今度と言う今度は絶対にだ。」

 と言って彼は電話に一歩近づいた。

「じゃあ早くそこの電話でパトカー呼べばいいじゃない? その間に私はあの子の足を叩き折って、叩き折って、どっちみち学校になんて通えないようにしてやりますけどね。」

「馬鹿野郎!」

 夫が、電話の前に立っていた私を平手打ちにした。私は、立ったままだった。