「大本営発表」に関する違和感。 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

前復興担当大臣辞任の一連の流れについて、違和感がぬぐえないのは、私だけでしょうか?

 

何がって、

結局「大本営発表」になっているじゃないか、というところが大きな違和感をもたらすのです。

大本営発表は第二次大戦の時に使用された表現で、私の個人的な解釈では

「縦のものも横と言い張れる力」

の事です。

そして報道機関は絶対にこの力になってはいけない。

しかしこの一連の報道は結局、「大本営発表」ではないのか。すごく違和感がある。

 

「大臣の失言」

は、東日本大震災の経済損失に関する講演の中で発せられたんです。

あれを通してみていて本当に

「いや~地震が起きたのが東北で、本当によかったですねえ~。」

 

と、見る人が受け取ったのだろうか、私は其処がものすごく怖いんです。

 

銭の話しをしているのだ。

金勘定の話をしているんです。東日本大震災の経済損失が約25兆円、これが仮に首都圏で起きていたら、国が一つ滅ぶ。

それと比較して、震源地が首都圏を直撃しなかったのは、まだ幸いだったと言うしかない。

 

あくまで金勘定の話題です。

 

人情とか心情とか感情の話題じゃないんです。人情や感情の話は他の所で、出来る時、したい人たちで、好きなだけしましょう。そんな時間も場所も沢山あります。でもこの場は金の話です。

 

私たちは感情を喰らって肉に変えて生きている訳じゃない。生きて行くためには銭金の話は避けて通れない。

 

銭の話をしているんです。金銭の話をするときに、失う金が少なくてよかった、という表現は正常な感覚です。金勘定の話をしているんだから。

 

「経済損失が抑えられたことは不幸中の幸いだった。」

というのが本来の文脈だったんです。

それが、

「東北でよかった。」

という部分だけ切り取られてコラージュになってしまった。

 

じゃあ首都圏で起きればよかったのかよ?

というのが最初にバッシングを訊いたときの私の感想でした。これこそが大本営発表じゃないか。

 

でも、ジャーナリストも仕事です、金稼いで食っていかなくてはなりません。

政治家の失言はキャッチーです。

キャッチーだから、話題になって注目されるから、みんなが見てくれるから、お金になる。

 

だからよだれたらして食いついている。

それ自体は悪い事じゃない。ジャーナリストだって生きて行かないと。

でも、ジャーナリズムは縦の物を縦として表現する義務があると思うのです。ジャーナリズムが縦の物を横と言ってしまったら、それは今の北朝鮮のスタイルとなんら遜色ないじゃないかと思うのです。

 

本当に、テレビ見ている人たちが、

「東北でよかったと思っている。」

思っているのかな?

 

だとしたら、ぬぐいきれない違和感。

悪質な情報のアレンジメント。