そんな子ばかりだから、何度も促さないとまずここヘはやってこない。やってきたとしても、最初はただ馬を見ているだけだ。それもまだいい方で、難しい子は事務所の中から出て来さえしない。
不登校にはいろいろな理由がある。10歳から17歳ほどの彼らは様々な理由で心に深いショックを受けた。
特に理由もなく学校に行かなくなった子もいる。でもそんな子の方が、その胸の内は暗く膿んでいることが多い、少なくとも見ていて私はそう思っている。
フィールドワークである。私の通っている学校の先生が、不登校の子どもの心のケアとして乗馬セラピーの研究をしている。
私はその先生についてきて、乗馬をする子供たちをサポートするボランティアをしている。ボランティアと言っても純粋な奉仕ではなくて、学校が組んだ予算の中から、ほんのわずかだけバイト代が支給される。移動費用の支払いと私は捉えている。
小学校から高校にかけて、学校に行くことを拒否してきた彼らは、心がもう停止寸前だ。
明るくふるまっている。明るくふるまわないと、あっという間に電源が落ちてしまうので。動き続けることでしか死にそうな自分の心を維持していくことが出来ない。
それも出来ない子は、本当に死んだような顔をしている。そして自分を明るくふるまっている子だとしても、なかなか馬に近づいてこようとはしないのだ。
馬の世話などはきちんとした資格を持った方たちがするので、私はセラピーを受けにきた彼らが乗馬の道具を身に付けたり、まだ馬に近づけない子の勉強をみたりという仕事をやっている。
それが私に任せられたボランティアの内容だった。
でも、時々は、彼らが馬の乗るのを手伝ったりする。何せ馬と言うのは図体がでかい。踏み台を用意してあるとはいえ、なかなか勢いで体を馬上に持って行けるものではない。
彼らの方も、初めての大きな動物にしり込みしてなかなか体に力が入らない。そんな場合に私はスタッフの方たちと連携して、彼らの一人が馬に上手に乗れるように足を支えたりして手伝う。
そして私はこの瞬間がとても好きだ。
彼らの心に今まで何があったのだろうかと思う。何もなかった、という場合もあると思う。そして何にもないことが彼らの心を深く傷つけたことを私は思う。
何せみんな表情が、適当に舗装したアスファルトの道みたいにがびがびだ。そのがびがびな表情が、馬の上で変わる。
雲が晴れていくように、暗く固くなっていた顔が変わっていく。双眸に光が当たりだして、表情筋に火が点り、肉体が生きてきたことを思い出す。
そんなに、馬に乗った彼らは変化する。その様を見ているのが私はとても好きなのだ。先生はこの変化についていくつか仮説を立てていて、曰く、
自分よりも大きな生き物を操作しているという現実が心に自信を取り戻させる、
のだそうだ。分かる、気がする。
何度馬に乗っても学校には復帰できない。でも、そうした子は学校に復帰する以外の方法を必ず見つけている。
だから私はこのフィールドワークが好きなのだ。接触の悪かったおもちゃに電気が走った瞬間みたいに。
生命がそれを自覚する。その瞬間に、私は立ち会うため今日も馬と彼らに会いに行く。