私はもっと自分の書いたものを読み返さないといけないかな、と昨日の夜思いました。
と言うのは、昨夜ちょっと時間に余裕があったので、
去年の9~10月くらいに作った掌編を読み返してみたんですが、
自分の文体にすでにできてしまっている癖、
あえて前向きにとらえるならリズム、テンポ、みたいなものを、もっと自覚して書かなくてはならないと思ったのです。
自分の中でのリズムを自覚することで、
私は自分が理想としている文体にもっと近づけるはずだ。
いつも読みに来てくださる方、ありがとうございます、
幸せです。
定期的に読んでくださる方なら、すでにご理解頂けていると思うのですが、
私は自分のお話で明るいストーリーをほとんど書きません(汗)
↑まあパーソナリティがものを言っているのだろう。
私の書いたのは、
読んだ人を不安にさせるものだと考えています。
というか
私は読んだ人を不安にさせるためにお話を作っているのだ
と感じたのです。
不安とは、凪いだ水面に小石を投げ込むようなものです。水の面が漣みます。
その揺らぎや不安を鎮めようとして、読み手は無意識のうちに自分で自分の心を動かそうとするのです。
その働きが、いわゆる感動と言えるものだと思うのです。
そう考えるのは、自分が読書をするときも、きっとそうして自力で心を働かせているのだ、と思うからです。
私は本を読むと不安になる。
物語を読むとその筋に、学術書を読むとその理論に、自分の理解や感性を脅かされる。そして不安になる。不安になるからそれを鎮めようとする。
感動とは人に心を動かされることではない、
自力で心を動かすことなのだ、
感動とは能動的なものだ。
だからこそ書いたもので人を不安にさせようと私はするのでしょうね。自分の書いたもので、人を感動させたいと思っているから。
そしてだからこそ、その行いはとても困難である。
私は自分が過去に作ったいくつかの文章を読み返してそんなことを見出しました。
やっぱり書きっぱなしじゃなくて時には読み返さなくてはなりません。
あ。
でも昨日で掌編の量が記念すべき600作目になってしまった。
600個読み返すのかあ…時間、、、、