鳥取県中部地震の折気にかけて下さいました方、
ありがとうございます。
遅くなりましたが、
お礼申し上げます。
私が住んでいる鳥取市はほぼ、ほぼなんの被害も無かったのですが、
隣のの倉吉市では未だにボランティアの数も足らず、避難所生活を続けている人もいます。
いや全く大事になってしまいました。
地震が来たとき私は
長男の小学校の創立50周年祈念式典に参加していました。
正に式が始まって子供たちが校歌を歌っている、
正にその瞬間揺れが来たのです。
阪神大震災の時は揺れの五分前に目を覚まし、
鳥取県西部地震の時は大阪で微かな揺れを感じましたが、
間違いなく今回の地震が生涯体験したなかで最大規模でした。
しかも子供が大勢いて集団に加わっているなかで被災してしまったので、
周囲は軽いパニックです。
意外にも低学年の子達(うちの息子)なんかはへっちゃらでしたが、
六年生の女の子が泣き出したり、発達障害の生徒さんがパニックになったり、先生たちが慌てて保健室から布団を運び込んだり、
親は親で一斉にあちこちに連絡を取りはじめて
私は自分の使っている携帯が一時不通になってしまい為す術なし。
さいわい保護者の中に姉の友人が居るのを知っていたので、
その方に頼んでともかく姉とは連絡が付きました。
そのご余震を警戒して子供たちは校庭に避難。
先生たちも冷静を装っていますがかなり動揺した様子。
暫く様子を見て一度集団登校の班を作り、全員が居るかどうか確認出来た順に解散となりました。
私は息子をピックアップして車で一旦自宅に戻ります、
おばあちゃんにち次男を預けていたのですな安否が不明です。
しかし家の様子を見ないことには子供たちを連れて帰れるかも分かりません。
おまけに我が家の隣には今にも崩れてきそうな廃墟が立っていて、
この揺れで絶対に壊れたに違いない!うちにも被害が!!
と思いながら車を運転していたら、
携帯から緊急地震速報のアラートが鳴ったのです。
デカイのが来るか
車を運転しているのです。
デカイのが来たら逃げ場は有りません。こうなったら仕方ない。
この時点で私はかなり冷静さを失っていましたが、ともかく時速40キロで走りながら揺れが来るのを待ちました。
幸運にも、
といって良いのかどうか。
その後では震動4以上の揺れは来ませんでした。
家の隣の廃屋は健在で、自宅の中も何かが壊れる等の被害は全くありませんでした。
おばあちゃんの家に居た次男も無事でした。
ですがそれから暫くの間断続的な揺れは収まらず、
私はあの夜子供は寝かしつけたものの
自分が眠れる気に成れなくて、
いつまたあの揺れが来るかと思うと全く冷静に成れず、
ただただTwitterを更新しながら体力の限界まで起きていました。
だからあの時色んな形で気にかけて下さった方には本当に感謝です。
力をもらいました。ありがとうございます。
復興にはまだまだ時間が掛かりますが、
私は毎日を生きていきます。
そしてまた小説を書きます。