小説「鳥」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

駆け出した君のふくらはぎがにび色に光って見えたとき私は、取り残されたのを知った。

水鳥の群れが一斉に飛び立ったのを見送った後の様な、莫とした心を誰にも何処に預けられずにいる。私は取り残されたのだと。

市民総合マラソン大会に参加した君の応援に私は来ている。私は参加せずに君のスタートシーンを見ていることにしたのだ。
本当は親子で参加してもいいのだ。しかし私は、君のことをただ見ていることにした。
君はトラックのスタート位置で同じく参加した五、六年生の影に隠れている。しかし君が一緒に走る幾人もの男の子達から、既に警戒されるランナーなことはその姿をみれば充分だ。
赤いランニングユニフォームに身を包んだその姿。走るために生まれてきた様な整った上半身。君は警戒されていて、スタート位置の後でわざとその時を待って居た。

私はその姿を見ていて、ピストルの鳴る刹那覚った。

私は取り残されたのだと。
君はもう彼方遠くを走り出してしまったのだと。そして、置いていかれた時初めて人はそのひとを追いかけていた事に気付くのだと。

私の命と君の命が軋み、嫌な音を立て始めていた事には気付いていた。
そして私は君からさっぱりと手を引こうと思ったのだ。旅立ちの季節だ。君は生長した。大きくなったからには親からも離れていくだろう。

だが実際にハナレテイク君の姿を見送りながら、私は、君が得たいの知れない魔物に飲まれていくのを見ている気持ちに成ったのだ。
君は、私を置いていってしまった。私の及びも付かない場所へと駆け出していこうとしている。

トラックを一周回った後で君たちの集団は市街地へと駆け抜けていく。
隣のスタンドに座っていた日傘の老婦人が、手袋をはめた両手をパタパタと打った。君は颯爽と先頭に躍り出ようとしていた。

私は、更けた。
私は自分の命が夕暮れ時に来ているのを知る。
鳥たちが巣へと帰路を急ぐ時間に私は居る。そしていつまで何をしているのか、と言う声が響いてくる。
「なにやってんだ私は。」

子育てなんて無意味だったのだ。私が虐げぬいた幼子がこんなに見事な肢体へと伸びた。私のやって来たことは何だったのかと私は自らを問う。

私は恐らく、彼の命に追いすがっていた。そして、
為す統べなく置きざられたのだ。それが、応援席に残った私の姿だった。